何ごとにも“一生懸命取り組むこと”
が素敵な出会いをもたらせてくれました
花を愛し、いけばなと向き合い半世紀
たくさんの方に支えられて在る今日に感謝
少女時代に“花合羽を携えて歩く女性”に抱いたあこがれの念が、いけばなを始めるきっかけだったとおっしゃる芦澤さん。
現在は富士支部 支部長という重責を担っていらっしゃいますが、プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも「頼まれると断れなくて…」と朗らかにおっしゃる芦澤さんが、永年にわたり貫かれている信念と人との絆についてお話しくださいました。
初対面とは思えないほどスグ打ち解けあえた砂田さん
同時期に支部長となり、いっそう近しい存在に
砂田さんとは平成15年頃、関 邦明先生のお教室で初めてお目にかかりました。約20歳もの年齢差の影響もあってか“フレッシュ!”というのが第一印象でしたが、初対面でも何の違和感もなくお話することができ、ご出身地・岩手県名産のお菓子をいただきながら、話に花が咲いたことを覚えています。何事にも積極的かつ行動的な彼女の姿を、私にはとても真似ができないと、いつも感心しながら拝見しておりましたが、平成24年、山梨支部・富士支部 支部長の任をそれぞれお受けすることとなり、日頃の悩みや今後の展望などを相談し、理解し合える大切な友人として以前にもましてメールや電話、時には食事を楽しみながら情報交換の時間を持つようになりました。
また、お互い、高齢の家族と同居しており、いけばな以外でもたくさん共通点があることにもご縁を感じています。
花合羽にあこがれた少女時代
花好きが高じていけばなに傾倒することに
幼い頃から、親せきや近所の家に咲く花々の美しさに惹かれ、それらを分けていただいては、家で飾ったりしていたのですが、18歳の頃から花合羽を携えて道ゆく女性の姿に憧れの念を抱くようになり、いけばなを習うきっかけとなりました。18歳といえば、少女から大人へ変わりつつある年齢で、視野の広がりにともない、私自身の生活にも様々な変化が現れ出したように思いますが、きっと花合羽を抱えてゆく女性の姿にただあこがれたのではなく、その人の背景に「花のある美しい暮らし」を垣間見たことが私の心を強く揺り動かしたのではないかと思います。
その後、ご縁があって小原流に入門。沼津支部(当時、富士支部創設前)初代支部長・鈴木 たい子先生のご指導を受ける幸運に恵まれました。未知のことを教えていただける毎週のお稽古はとても楽しく、お友達もたくさんでき、お付き合いの範囲も広がっていきました。社会人になってからは、学生時代と違い様々な悩みが生じることもありましたが、鈴木先生を初め、お稽古仲間の皆さんが相談にのってくださり、何かと解決の糸口を見つけるなど、あらためて振り返ってみますと、いけばなをとおして出会った人々がいつしか一番身近で大切な存在となり、今も深い絆でつながっているように思います。
指導者として、支部を支える側として、
あこがれは責任へと変わりました
昭和43年准教授を取得して間もなく、鈴木 たい子先生の勧めで、3人のお弟子さんにいけばなを教え始めることになりました。今、考えるとよくお引き受けしたなと思いますが、お弟子さんが徐々に増え、その中から研究会に出席する方が出始めると責任の重さを実感し、自分自身がさらなる勉強の必要性にかられました。
●伝統文化いけばなこども教室にて(2015年5月)
また、永年いけばなをお稽古する中で、私が苦労したことと言えば“美しい様式本位をいけること”です。決められた場所に、きちんといければ素晴らしい作品に仕上がるのですが、これを理解できるまでがとても大変でした。またそれをお弟子さんに教えなくてはいけませんから、毎回が真剣勝負で、試行錯誤を繰り返していたある日、三世家元・豊雲先生が研究会にお見えになり、椿の瓶花で準優秀花をいただいた時は、安堵とともに舞い上がるようなうれしさでいっぱいでした。
●父・芦澤光義さんとの「親子展」として社中展を 報じる新聞記事と会場の様子(2005年4月)
【芦澤 逸子さんに一問一答】
●好きな花 | 白の胡蝶蘭。 |
●好きな作家 | エミール・ガレ |
●好きな作品 | 「蘭の花瓶」 |
●マイブーム | 旅行と食べ歩き |