「笑顔で楽しくいける」を胸に仕事を続けつつ
周囲に支えられ歩んだ花の道
同門に娘を預けた母、
そして“いけばな界の母”となった恩師に感謝
お互い遠方からの研修課程参加に共感
一瞬でお友達になりたいと思った惠良聖子さん
惠良さんと初めてお会いしたのは、2006年7月の研修課程Ⅰ期の時でした。控室で私の席の向かいに座っておられたように記憶しています。惠良さんが熊本県から来られたことに驚き、恵良さんも私が遠く北海道からの参加だと知って、「お互い遠いところから来ましたね」という感じで親しくなりました。
惠良さんの第一印象は、きれいで優しそうで理知的なお嬢様。私は一瞬でお友達になりたいと思いました(私の方がだいぶ年上でしたが)。その後も印象どおりの素敵な方で、研修課程Ⅰ期・Ⅱ期(Ⅲ期は私の都合で参加できませんでした)でご一緒し、今も仲良くさせていただいています。
九州と北海道、遠く離れているのでめったにお会いできませんが、小樽ではなかなか手に入らない花材や、熊本のおいしいものを送ってくださるなど、いつもお気遣いをいただき、とてもありがたく思っています。


姉に叱られた“お正月花事件”
母が仕掛けた河原トシ先生との出会い
母は小原流の専門教授者で、姉も母からいけばなを学んでいましたが、私がいけばなのお稽古を始めたのは結婚から3年目、27歳の時でした。
結婚した最初のお正月、婚家に母がいけたお花を持って行き、2年目も同じように母のお花を持参したところ、姉から「いい加減にしなさい」と叱られました。それがいけばなを習うきっかけです。
しかし、母は私には教えてくれませんでした。親が直接指導するよりも…との理由で、母と同門だった河原トシ先生を紹介され、以来、河原先生のご指導を受けることになりました。とはいえ、私はどうしようもない生徒で、昔の小品B型の主枝を挿すお稽古では、花器をひっくり返したことも……。河原先生にとって本当に大変な生徒だったように思います。

(下から4段目、向かって右から3人目が榎さん)
いつも寄り添い導いてくださった恩師
いけばなだけでなく人としての生き方を学ぶ
今まで私がいけばなを続けることが出来たのは、なんといっても河原先生のおかげです。お花の技術はもちろんのこと、女性として、人間として先生を尊敬しています。
幹部研修会で初めて私の作品に参考花の札が立った時、「札が立ちました」と喜びいさんでご報告したところ、先生はその次のお稽古で赤飯を炊いてお祝いしてくださいました。
札幌で初めて花展に出品した時も、花器選びやいけ込みから花展の最後まで支えてくださいました。
人と人とのつながりを教えていただき、大切なお友達に出会うことができたのも先生のおかげです。河原先生は私にとっていけばな界の母。本当に感謝してもしきれません。


38年間の仕事の積み重ねが役立つ今
これからも笑顔で花と向き合う自分でいたい
花の道は奥が深く、私もまだまだ修行が足りません。焦っていると焦ったお花、困っていると困ったお花になってしまいます。だから研究会でも花展でも、花をいける時はいつも「とにかく笑顔で楽しくいける」ことを念頭に置き、笑顔で花と向き合うよう心がけています。
仕事を持っていた頃は支部活動のお手伝いはなかなかできませんでしたが、還暦を迎えてからは微力ながら青年部のお手伝いをさせていただいております。今お手伝いができるのも、仕事を38年間続けてきたからこそと思います。そして何よりいけばなを長く続けられたのは、家族の理解と健康、さらにお花仲間と信頼関係を築き、お互いを励まし助けあったおかげです。
そんな私も還暦を過ぎてからは2度も救急車に乗ってしまう経験をし、健康のありがたさが身に沁みました。まず健康であること、その上でいけばなを楽しみながら、これからも歩み続けたいと思います。

お家元のデモンストレーション(向かって一番右が榎さん)

【榎 清翠さんに一問一答】
●好きな花 | カラー |
●好きな作家と好きな作品 | 読書、絵画鑑賞が好きです。作家は東野圭吾さん、宮部みゆきさんです。安部龍太郎さんの『等伯』にも感動し、たくさんのお友達に紹介しました。「地区別教授者研究会のお勉強にもなりますよ」などとおすすめしています。 |