母と二人三脚で歩んだ花の道
師の教え、家族と仲間の愛に支えられて
集大成は、家元をお迎えし6月に開催する
支部創立70周年記念講習会
数年のブランクを経て再会した伊藤豊扇先生
互いの支部の青年部間交流を応援しています
伊藤先生とお会いしたのは1998年頃、幹部研修会に参加した時の宿泊先ホテルが同じで、食事をご一緒したのが最初だったと思います。その後10年ほどお会いする機会がありませんでしたが、蔓桔梗会や支部長セミナーで再会し、このたびの「十勝支部創立70周年行事」ご招待状をお出ししました。ご出席いただけるとのことで、再会を楽しみにしています。
また昨年、全国青年部野外研修に十勝支部から2名が参加させていただいた際、青森支部の方が大変親切にしてくださりお友達になったということでした。私自身、支部長セミナーでお会いした先生から支部運営のあり方など大変勉強になるお話を伺うことがあり、いつも新しい出会いから良い刺激や学びをいただいています。交流の大切さを実感しているので、これからは若い方たちも支部を越えた交流を大切にしてほしいと願っています。

母の反対を押し切り通い始めたお稽古
生きる姿勢も学んだ恩師との出会い
何をやってもすぐ飽きてしまう私を、故・岡崎操先生のいけばな教室に誘ったのは姉でした。先生と母はお友達同士でしたが、母は「すぐに飽きるからだめです」と、入門を許してくれませんでした。「どうしても行く」と言うと、「3年は絶対に続けること」と約束させられ、やっとのことで許しが出ました。
それから1年半、なんとか頑張ってお稽古を続けていた頃のこと。支部創立20周年記念行事が開催され、三世家元小原豊雲先生の講習・講演会が行われました。会場でクローク係を担当していた私は、そこでたくさんの方々が華やかにイキイキされている様子を目の当たりにし、なんとも言えない高揚感を覚えました。お家元がいけられた作品については、正直なところ当時の私にはまだよく理解できませんでしたが、それでも作品を通してお家元の心の豊かさが伝わってきました。言葉や理屈を超えた「いけばなの無限」も感じ、「いけばなを見る」目や気持ちがガラリと変わったのです。岡崎先生は当時の私のことを「長くは続かないだろう」と思われていたそうですが、その日以来、先生の心血を注いだご指導を休むことなく、ひたすらお稽古に励みました。

岡崎先生と出会うまでの私は、両親にも職場にも甘え、わがままいっぱいの生活を送っていたので、先生のご自身に厳しい毅然とした姿勢には大変感銘を受けました。「人は所詮一人です」とおっしゃるその厳しさに慣れるまでにはずいぶんかかりましたが、尊敬する先生の教えを守り、何が私をここまで一生懸命にさせるのかを自問自答しながら獅子奮迅の思いで努力を続けました。
お稽古を始めて10年ほど経った頃、先生から「あなたもお花を教えてみませんか」とお誘いいただきました。即座に良いお返事ができずにいたところ、「10年習って“もの”にならないのなら一生だめですね」という厳しいお言葉が。その後、先生の助手を務めさせていただくことになり教授活動が始まりましたが、先生を頼りにしながら楽しくさせていただきました。父は自宅を改装してお花の教室を作ってくれるなど、周囲の皆から応援されながらのスタートでした。

教授者になって3年目の秋のこと。岡崎先生がお稽古の帰り道で交通事故に遭われて片方の目を失明なさり、もう片方の目もうっすらとしか見えない状態になってしまわれました。それ以来、先生と社中の人から勧められ、多くの生徒たちを指導することになりましたが、まず自分の技術の未熟さに直面し、情けない思いを味わいました。毎日のお稽古と同時に仕事も忙しく、それらを両立させることはとても大変で、仕事もいけばなも中途半端となり、苦しい日々が続きました。「若い者が…」と言われることもあり、「もうお花はやめよう」と思ったことも一度ならずありましたが、それでも「今に見ておれ、私は若いんだ!」という一念で歩み続けました。
私も精一杯頑張りましたが、振り返ると母からの支えがあったことも大きかったと思います。また、苦しい時に応援してくださった支部の先生方や社中の生徒たちの温かい励ましも心に沁みました。私の礎を築けたのは周囲の方々の支えがあったからこそ築けたものと感謝しています。
仕事を退職すると同時に支部長の任を拝命し、2008年には教務を拝受しました。岡崎先生の墓前にお参りしてご報告した時には、先生の「頑張りましたね」とおっしゃる声が聞こえたように思いました。

若手も活躍!和気あいあいとした十勝支部
記憶に残る「支部創立50周年記念花展」
十勝支部は笑いが絶えることのない明るい雰囲気の支部です。若い役員が多く、これからの活躍を楽しみにしています。また、研究会にも伝統文化いけばな親子教室の生徒たちをはじめ、若い方も楽しんで参加してくれています。
支部の主な活動は花展開催や諸流展への出品ですが、日頃の研鑽の成果を発表する場である「花の輪・人の輪―みんなの花展」では皆に楽しく自由にいけてもらうようにしています。毎年参加している十勝華道連盟の「春のいけばな展」では、小原流の特徴を生かした作品制作に取り組んでいます。


特に思い出に残っているのは、「支部創立50周年記念花展」です。小原流いけばなの醍醐味を多くの方にご覧いただきたい一心で運営に取り組み、努力の甲斐あって花展を成功裏に終えることができました。他流の皆様からも「十勝における花展としてこれ以上のものはない」とのお褒めの言葉をいただくことができました。

次の目標は支部創立70周年記念行事
いけばなの“これから”を問いかけて
このたび、十勝支部は創立70周年を迎えます。これを記念して来たる6月23日、小原宏貴家元をお迎えし、特別講習会・祝賀会を開催させていただく運びとなりました。時代の流れを考え、いけばなのあり方や、見る人に何を伝えたいか、そして花の魅力とは何かということを問いかけながら、小原流十勝支部の歴史を称えたいと思います。
❀十勝支部70周年記念講習会のおしらせ❀
- と き:2019年6月23日(日)13時~
- ところ:ホテル日航ノースランド帯広(北海道帯広市西2条南13丁目1番地)
- 指 導:小原 宏貴 家元

小原流の旅行をきっかけに始まった交流
素敵な人生の先輩との出会いを大切にしています
いけばな以外の趣味は、旅行と社交ダンスです。社交ダンスは25年ほど続けていましたが、現在は少し体重も増えたので、もう無理かもしれません(笑)。
海外旅行には20代の頃から出かけるようになり、お気に入りの国には2~3回訪れています。これからは日本国内の名所巡りをしたいと思っています。
旅行で出会った方との交流も続いています。1985年、年金互助会主催のカナダ研修旅行でご一緒した神戸支部の方と、旅先で意気投合。芦屋にお住まいの方で、それ以来会議や研修で神戸を訪れると必ずお会いし、神戸近郊を案内していただいたり、小原流の技術について情報交換をさせていただくのが楽しみでした。2006年にはカナダ旅行に再びご一緒することができ、92歳にして大変お元気でいけばなにも熱心な方との出会いをうれしく思っています。これからの私にとって生きるお手本となる、今も本当に素敵な方です。

理事長の左横、白いスーツが坂井さん (2011年9月)
介護の秘訣は楽しく向き合うこと
いけばなで社会貢献も
私の父が亡くなってからの33年間は、母と二人三脚で人生を歩んできました。仕事といけばなを両立する私を支えてくれ、ずっと元気だった母。私が退職し安心したのか、持病が出たり、足を悪くして次第に歩くことも困難な身体になっていきました。晩年の10年間は大変でしたが、姉妹に助けられ102歳まで自宅で一緒に過ごすことができ、楽しく介護ができました。お稽古に来た生徒たちも車椅子生活になった私の母をいつも気遣い、話しかけ、大事にしてくれました。支部の先生方や生徒たちも、親の介護が必要な年齢に差しかかっています。私の経験では、介護は“楽しく”看てあげることが大切です。
現在は3カ所の教室の合間に、地域ボランティア活動の一環として「いけばな介護教室」のようなお稽古をしています。いけばなは指・手を動かすので脳も働き良い刺激になると思い始めたもので、月に2回程度自宅を解放して開催。お稽古の終了後は皆でお茶を飲んだりおしゃべりしたりする場に早変わりし、参加者の皆さんと楽しい時間を過ごしています。また、それ以外にも社会貢献活動に協力しています。
いけばなの指導を始めてから40数年が経ちますが、教え始めた頃の生徒が今も続けてくれています。30年、40年と長年にわたって生徒とともにお稽古を続けられたことはもちろん、家族のような温かい交流が続いていることを思うと本当にうれしく、いけばなへの感謝の思いは尽きません。

坂井久恵さんの教室はこちら
【坂井 久恵さんに一問一答】
●好きな花 | 菊 |
●好きな作家 | 山崎豊子・松本清張 ――最近本を読む暇がなく、思い浮かぶのは古い作品です。母の介護ばかりでなく、保護司の仕事もありましたので、本を読んだり音楽を聴いたりする余裕がなかったのでしょうね。 |
●上記の作家で好きな作品 | 山崎豊子『沈まぬ太陽』『不毛地帯』。社会・企業をえぐる人情味ある激動の作品です。 |