いけばなじん

File No. 116

樽川 好草さん

樽川 好草さん

福島県/郡山支部

「花はともだち」
大好きないけばなとともに過ごした半世紀を思って

先輩が愛した「いけばな」の道を
受け継ぎ次の世代につなげたい

社会人になってからいけばなを始められた樽川さん。大切な師や仲間との出会い、花の道をともに歩んだ先輩との別れ、また東日本大震災という困難を乗り越えて、いけばなに邁進されてきました。その原動力は「小原流の花が好き」という情熱。支部長を退任された今も持ち続ける真摯な思いや、多彩なご趣味についてお伺いしました。

人間的な魅力にあふれ
パワフルで包容力もおありの福田光春先生

 多賀城支部の福田光春先生に初めてお目にかかったのは、2008年の郡山支部創立60周年記念花展の時です。当時の石巻支部長・三浦蕗光先生とご一緒に泊りがけでお越しくださり、翌日にお二人を須賀川の牡丹園などへご案内したことを憶えています。その後再会したのはお互い支部長となり、初めて参加した支部長セミナーでした。福田先生が「支部長としては新人同士、よろしくお願いしますね。何かあればお互いに相談し合いましょう」と仰ってくださり、とても心強く感じました。
 第一印象でバイタリティーのある方だと感じたとおり、どんな時でも人を惹きつける魅力をお持ちの福田先生。大勢の生徒さんがおられ、ボランティア精神も人一倍ある方です。石巻の三浦先生が支部長を退任される際に開かれた社中展では多賀城からお手伝いに駆けつけられたそうで、本当に大変なときに頼りになる先生だと感じました。そんな福田先生とお友達付き合いさせていただけることをとてもありがたく思っています。
 二人とも普段は忙しいので電話でお話しするのみですが、東北地区の支部で花展が開かれる時は会場でお会いし、また仙台で会議等があればお泊りしてゆっくりお話しするのが楽しみになっています。


支部創立55周年記念式典花展にて(右が樽川さん 2005年5月)

小原流いけばなを愛した先輩
その遺志を引き継ぎ伝えていきたい

 社会人になった時、3ヶ月の新人研修期間を寮で過ごすことになり、その間に社員教育の一環としてお茶(裏千家)やお花(池坊)を習う機会に恵まれました。研修後はお茶を続けていたのですが、ある日事務所に飾られていた一瓶のいけばなに目を奪われました。その素晴らしさに感動し、どなたがいけたのか尋ねたところ、先輩がいけた“小原流”のお花だと教えてくださいました。
 その花をいけた先輩は何でも楽しそうに取り組む方で、そのイキイキとした姿に惹かれて私も小原流の先生を紹介していただきました。最初に先輩に言われたのは「3年は続けてね」。挫折しそうな時もありましたが、1964年から今日まで、55年間いけばなを続けています。やはり花が好きだからこそ、ここまで続けられたのでしょう。小原流で習い始めて最初にいけた花(青磁の瓶に雪柳、アイリス、傾斜型)は、今でも忘れることができません。
 また、以前習っていたお茶は、毎年お花の教室の初いけの時に振る舞っています。


一級家元教授許状授与式にて、四世家元・夏樹先生と。左から4番目が樽川さん。
 前日に神戸の花屋で花を調達し、郡山支部全員で同じコサージュを作って出席(1986年5月)

 私を小原流の世界へと導いてくださった先輩は、残念ながら若くしてこの世を去りました。入院中の病室でもいつもお花のことだけをお話しされるほどいけばなが大好きな方でした。あれから35年余り、亡き先輩へ感謝の気持ちを込めて時折ご報告に伺っており、空の上で聞いてくださっていると信じ、先輩から引き継いだ社中の生徒さんには私が先輩の遺志を継ぎ、小原流の良さを伝え続けていきたいと思っています。


創流111周年記念花展にて、五世・宏貴家元と (右から2番目が樽川さん 2006年5月)

師に背中を押され挑戦した研修課程
学びと人間関係は人生の宝物

 私が研修課程に参加するきっかけを作ってくださったのは、小原流研究院元副院長・東海林寿男先生です。東海林先生が郡山でご指導をされていた教室に私も参加させていただき、3回目ぐらいの時に、「あなたも研修課程に参加してみませんか?」とお声をかけていただきました。突然のことに躊躇してしまい、一度はお断りしたのですが、「勉強すれば自信を持って教えられるでしょう」との先生のお言葉に気持ちが固まりました。
 研修期間はいけばな人生の中でも一番大変でしたが、それと同時に一番楽しく充実した時でもありました。朝早くから夜遅くまで研究院の先生方が手取り足取り教えてくださるので、私たち受講生よりも長時間にわたってご指導される先生方のほうが大変だなあと思ったものです。研修期間中はホテルに帰っても疲れて寝てしまうだけでしたが、考査の日は少し早めに帰れるのでその時間を利用してはあちらこちらへ食事に出掛けるのが何よりの楽しみでした。
 苦労して研修課程を修了し研修士の資格をいただき、いけばなの知識を深めることができたのは、東海林先生が私の背中を押してくださったからこそです。それを思うたびにあらためて感謝の気持ちが湧きあがってきます。

 また、研修課程で出会った仲間は皆元気な方ばかりで、今でもお互いに電話をかけたり、花展の時にお会いするなど交流が続いています。今では名誉幹部として支部の発展に尽力されている方もおられ、ご活躍の噂を耳にするたび懐かしい思い出がよみがえります。
 後述する東日本大震災の時には安否を気遣う連絡をくださる方や、食べ物や物資を送ってくださる方もおられ、その温かい心遣いが今でも忘れられません。今後もし同じような災害が起きた時は、私からもできる限りのご恩返しをさせていただきたいと思っています。

 また、神戸から香港までの間を船上で勉強した「小原流洋上大学」や年金互助会の催しも心に残る楽しい思い出です。小原流洋上大学で知り合った“さくら丸”のクルーのお一人で四国にお住まいの方とは今でも手紙や年賀状などをやり取りするお付き合いが続いています。そしてふと、あの時ご一緒した皆さんはどうしていらっしゃるかしらと思い出すことがあります。


小原流洋上大学(神戸⇔香港)にて、三世家元・豊雲先生と。
 左手前が樽川さん(1975年7月)

支えてくださった諸先輩方に感謝
若手ものびのびと活動中の郡山支部

 8代目支部長に任命された当初を思い返すと、6代目支部長の宗像清浪先生にどれほど助けていただいたかわかりません。宗像先生が道半ばで病に倒れ帰らぬ人となられた時には、支部の司令塔がいなくなり、とても不安に感じたものです。今では先生の娘さん(横浜支部の東紀子先生)と交流し、宗像先生がお元気だった頃のことを懐かしく思い出しています。
 また、本部理事で地区代表委員も務めておられる山形支部の湯村春奥先生とは、約20年前に同支部長の大友律子先生からご紹介いただいて以来のご縁で、長きにわたって大変お世話になっています。私が支部長を退任するまで無事に務めることができたのも湯村先生からのご支援によるところが大きく、感謝の思いは尽きません。困った時は先生にお話するといつも的確なアドバイスをくださいました。今でもなにかあるたびにお電話してしまうほど、本当に頼れる先生です。
 お世話になった方々に、この場をお借りしてあらためて厚くお礼を申し上げます。


支部長に就任した年の作品 「郡山諸流いけばな展」にて(2010年10月)

 支部長を拝命した翌年の2011年3月11日に東日本大震災、原発事故が起きました。家屋の倒壊被害が一番大きかったのは郡山で、事務所と研究会会場だった商工会議所会館も倒壊したため研究会は中止、事務所も引越しを余儀なくされました。
 放射能警報の発表がない日は、雪が降る中を新しい研究会会場探しに奔走しました。大きな古い建物は被害の大きいものが多く、新しい建物は吊り天井が落ちてしまって使用できないところがほとんど。50人も収容できない小さな会場しか見つからず、あの頃の研究会開催は本当に苦労しました。郡山市民文化センターや郡山市民プラザなどは会場の使用権が抽選で決まるため、いつもビクビクしながら抽選結果を待っていたことを思い出します。
 現在は郡山女子大学の教室をお借りして研究会を開催しており、学校行事と重なる時に研究会の日時を変更することはあるものの、再び安心して活動できる環境に恵まれたことに感謝しています。

 郡山支部のモットーは、「お花は楽しい」と思える支部づくりです。研究会は参加することを重んじて、一時間ほどのお稽古の緊張が心地よく感じられるのが理想です。若い世代の幹部は考え方もやり方も合理的で、皆で明るく楽しく仕事をする様子を見ると私も嬉しく思います。

 主な支部活動のうちのひとつは、年1回開催の「みんなの花展」です。震災前は「うすい百貨店」のエスカレーター周辺で行っていましたが、震災後は支部会員の地域ごとに開催するなど試行錯誤してきました。しかし開催地が遠いと参加が難しい年齢層の会員が増えてきたので、現在は郡山市内で開催しています。福島民報社や福島民友新聞社が花展を取材し、小原流の宣伝をしてくださるのは大変ありがたいことです。これからもマンネリ化しないよう運営方法を考えていかなければと、新しい方法を模索しています。
 また青年部も年に2回ほど行事を催しており、私たち上の世代の会員も積極的に活動に参加しています。


「みんなの花展」出品作。絵画とのコラボ (2013年8月)

「諸流いけばな展」出品作 (2016年10月)

 諸流花展では毎年違った花材と花型を採用し、バラエティ豊かな表現となるよう心がけています。

 公民館の文化祭など、サークルで行う展示ではきれいな色合いの作品が喜ばれるので、その場に合わせた展示内容を企画しています。最近では出展者本人に花器を持参してもらい、それに合わせていけるなど、飽きがこない工夫をしています。

「世界らん展」出品作。
  郡山諸流華道会7流派で取り組みました。 
(2010年)

 これまでのいけばな人生で特に印象に残っているのは、支部の周年花展の際、先輩の先生のご配慮で一番重要な場所を任されるというハプニングがあったことです。その経験のおかげで花展開催までの工程がよく分かり貴重な学びにつながったことが、今となってはいい思い出です。

 最近は、どうすれば若い人たちが小原流に入門してくれるかを考えることが多くなりました。まずはお花を好きになってもらうことが出発点ですので、お稽古でお花が余った時は近所のご家庭に差し上げるなど、花を身近に感じてもらえる機会を作るのも良いのではないかと思います。また、教室に来る子どもたちが中学生や高校生、もっと大きくなっても、いけばなを続けたいと思ってもらえる教室づくりを目指して工夫していきたいです。


郡山女子大附属高校華道部の生徒たちと。
 宮城地区・学生いけばな競技会に初参加したときの写真(中央が樽川さん 2017年7月)

多彩な趣味に通じるのは
“仲間と一緒に分かち合う楽しさ”

 いけばな以外の趣味もたくさんあります。
 まずは、旅行・登山です。旅行や登山を通じて長いお付き合いの友人もでき、お友達が郡山へ来られる時は県内の見どころをご案内しながら一緒に楽しんでいます。
 また絵画鑑賞も好きで、福島で展覧会が催される時は旅行を兼ね泊りがけで行くことにしています。夜の時間もとても楽しく、面白いものです。

 他には小倉百人一首。会社勤めの頃、毎日お昼休みに小倉百人一首を楽しみ、会社の保養施設があった二本松の岳温泉で毎年1泊してはカルタやスキーを楽しみました。カルタ大会で優勝したことも良い思い出です。

 そしてアレンジメントやブーケ、コサージュ、ヘアオーナメントなどを造るフラワーデザインもしています。
 以前結婚式のブーケを造った時、それを使用された方がとても喜んで小原流の教室へお稽古にきてくださり、転勤するまで長く続けられたことも思い出に残っています。

 そして指圧。もともと自分が肩凝りに悩まされており、足も疲れやすかったのがきっかけではじめました。他の人もほぐしてあげられたら、との思いから本を読んだりテレビを見たり、自分が指圧を受ける時に先生に質問したりするうちに、自分でもできるようになりました。支部役員の先生方やお友達に指圧してあげると皆さん喜んでくださいます。

研修課程を受けた頃から大好きな言葉が、「花はともだち」。ここまで来られたのも小原流の花が好きだからだと思います。今の願いは、鋏を置くまでに一度、社中展を開催することです。これからもその夢に向かって、一人でも多くの人に小原流の花を広めていきたいと思います。


支部長退任後、社中有志による食事会。挿花していた日本料理店にて 
  (前列中央が樽川さん 2018年4月)

【樽川 好草さんに一問一答】

好きな花

コスモス、野あざみ

好きな画家・作品

東山魁夷/唐招提寺御影堂障壁画(今は御影堂改修中のため拝観できません)
大山忠作/成田山新勝寺光輪閣襖絵「日月春秋」

マイブーム

美術館・博物館などの催しがあれば、今までどおりどこへでも出掛け、見てこようと思います。

樽川好草さんからご紹介いただいた次回の「いけばなじん」は、伊藤豊扇さん(青森支部)です。伊藤さんは長年にわたる支部役員としての手腕を買われ、昨年、支部長に就任されました。ご自分の意見を会議の場でしっかりと述べられ迅速に行動される伊藤さんに出会い、これまで直接の交流はないものの、ぜひもっとお話をお聞きしたいと思われたそうです。どうぞご期待ください。