みんなのいけばな

File No.73

船橋 信苑さん 船橋 信苑さん 青森県/青森支部

師に導かれ、歩み続けたいけばなの道 私の世界を広げてくれたいけばなを後世に伝えていきたい

人と人のつながりで紹介していくリレー形式の「いけばなじん」

恩師に憧れ、いけばなの先生をめざした若き日々

お父様がたしなまれていた川柳がご縁で小原流を学ばれることになられた船橋さん。いけばなとの出合いを喜び、指導に情熱をかたむけ、入門以来およそ半世紀が経った今もその気持ちはまったく変わらないとおっしゃいます。夏樹先生との懐かしい思い出や支部での活動、趣味の手芸など、さまざまな話を愉しくお聞かせくださいました。

山下先生との出会いは研修課程 穏やかな口調と雰囲気にホッと心が和みました

 山下先生とは同時期に研修課程を受けさせていただき、行き帰りの空港で何度かお会いするうちに、北海道・青森と北国同士ということからお声をかけてくださったようです。穏やかな口調と雰囲気が印象的でいつもホッと和ませてくださいます。
 現在は、それぞれ支部の活動で忙しくしており、本部での集まりなどでお目にかかる機会が減ってしまったのが残念です。

恩師の姿に憧れた学生時代 いつしか「いけばなの先生になる」ことが目標に

 父の川柳仲間のお宅に、古内 輝峯先生が出稽古に来ておられ、母に「いけばなをやってみる?」と言われ、何のためらいもなくお稽古を始めたのがいけばなとの出合いでした。初めてごあいさつに伺った時に、お着物姿で凛と座っていらっしゃった先生のお姿は、今も私の脳裏に焼きついています。
 時には学校帰りに自宅のある駅を通り過ぎて先生の青森のご自宅まで行き、お稽古が終わったら駆け足で最終列車に飛び乗るようなこともありましたが、「お稽古を休みたい」と思ったことは1度もありませんでした。この頃すでに「お花の先生になりたい」と文集で書いていましたが、卒業式のスナップ写真には、小判型花器を入れたカバンを持った私がいます。当時の私にとって、いけるのが楽しかったのは言うまでもありませんが、お花は心の支えであり、何より古内先生への憧れの気持ちがとても強かったように思います。


「青森市文化団体協議会 第50回記念文化祭式典」にて(2014年9月)
詩吟と一緒に花道吟をさせていただいた時の一枚。学生時代の新入生歓迎会以来の試みでしたが、何とか吟とともに終わることができ、ホッと一安心。良い経験でした。

 平成27年から小原流学校連盟にも加入いたしましたが、幼稚園に勤務しながら、こども教室の指導にもあたり、永年幼い子どもたちと密接に関わってきた経験をいかしながら、新たな気持ちで成長期の学生たちとも接していきたいと思っています。

 私には指導に際し心がけていることがいくつかあります。それは、教授する相手の年齢に関係なく、「あいさつはきちんと」「お花を好きになってもらう」「身の回りの草花に目を向けてもらう」「花をいけて、飾ったら責任を持つ」「わからないことはその時解決できるように話しやすい空気を作る」などです。たとえば、折り紙を手にした幼い子どもたちに「三角に折って!」と言っても、三角がどういう形なのかを知らない場合があります。「教える」ということは、そういうところから始まるものだといつも思っています。


「第20回造形展」にて(2011年9月)
子どもたちも張り切って参加。初めて来展くださった宏貴家元と親しくお話をする機会をもたせていただきました。

造形作品にも果敢にチャレンジ 忘れがたい夏樹先生との思い出

 支部花展のお手伝いをさせていただく機会が度々あり、その経験が、いける側・運営する側それぞれの立場で大いに役立っています。
 1987年8月には青年部として「ヤング・サマーフェスティバル」に夏樹先生をお招きし、先生を囲み大いに盛り上がりました。


「ヤング・サマーフェスティバル」(船橋さんは左端)
「ラッセーラー!ラッセーラー!」の声が響く中、青年部の一員として広い会場を走り回りました(1987年8月 ねぶたの里)

 マイ・イケ初出品の際は、古内先生が後押しをしてくださったおかげでドンドン前に進むことができたと思いますし、1990年マイ・イケでは、隣の花席の方が入賞され、創作過程をお聞かせくださったことで造形を更に究めようと思いたつきっかけとなり、試行錯誤の結果、1991年9月、夏樹先生最後の来青となりましたマイ・イケで「K氏賞」を受賞し、講評をいただけたことは忘れられない思い出となっています。
 こうして振り返ってみれば若かりし日の私は、何に対しても一生懸命に突き進んでいたように思います。


「第11回マイ・イケバナ青森展」(1991年9月)
ワイヤーの花がゆれ動き、あっちにユラユラこっちにユラユラ…

 「青森支部は勉強好き」との評価を時々いただきますが、お家元から遠いことを皆が意識しているからかもしれません。最近は若い方の入門が少ないのが悩みの種ですが、若年層がもっと増え、長く続け、さらには支部を手助けいただければ良いのにと願い、永年、小原流いけばなを学ばせていただいた感謝の念より「私に何かできないだろうか」と自問自答の日々です。

子どものころから好きだった裁縫や編み物 いけばな教室ではその経験をいかした作品作りも

 裁縫など手先を使うことが小さい頃から大好きでした。レース編みは小学生の頃に母の手ほどきで始め、本を見るなどの自己流で袋物やセーターをせっせと編んでいました。結婚する友達にこぎん刺しのバッグとぞうりのセットをプレゼントしたり、伯母にビーズ編みの袋を作ってあげた時は喜んでずっと使ってくれていた様です。おかげで幼稚園に勤務している時も工作は苦になりませんでした。考え方が子どもっぽいと言われるかもしれませんが、私の造形作品への取組姿勢はやはりこのあたりが原点なのかとも思います。


「合浦公園開園百周年記念野外造形展」にて「青森市長賞」受賞(1994年7月)
ビーズをひたすら結ぶことの繰り返し。仕上がった時、ちょうど朝露がかかり、奇跡の相乗効果が・・・工藤昌伸先生の「キレイだ!」の声を今でも鮮明に覚えています。

 一言でモノ作りと言っても様々ありますが、私の教室にも、手仕事の好きな方々が沢山いらして、布を集めてはお雛様や袋物などをよく作ったものです。当時、集めた布がまだたくさん残っていますが、近年は、目も手先も思うようにならなくなってきており、これらをどうしたものかと思案しています。


玄関に置いてある「金太郎」。いけばなの稽古にかよう生徒さんたちと一緒に作りました。皆のお宅でも金太郎さんがお守りをしていてくれるでしょうか?

 40歳を過ぎてから和裁の専門学校に入学しました。その動機は今までとは少し違い、両親が歳をとった時に和裁ならば家で仕事をしながら世話ができるのではないかと思ったからです。勉強を重ね、きちんと卒業し、教員の資格も取りましたが、現実は想像をはるかに超え、介護は片手間でなどできることではありませんでした。今、介護と向き合っていらっしゃる方には、そっと寄り添ってあげることができればと思っています。

 早とちりでそそっかしいため、あらゆる場面でそれが苦労につながり、「後悔先に立たず」と反省することも多々ありますが、それでも、ずっとお花のお稽古を続けてこられたことは我がことながらうれしく思いますし、田舎でボーッと育った一人っ子の私が、お花を通して全国に友達ができ、共通の話題を持って接することができることや、さまざまな行事へ参加することで、次へ次へと新たな道に導いてくれたことを、この上ない喜びと実感。
 写真の中には、いつの日も「楽しい!!」と叫んでいる私がいます。

【船橋 信苑さんに一問一答】
好きな花: 紫陽花(特に水色)
好きな作家: 壺井栄
好きな作品: 『二十四の瞳』
マイブーム: 古い城を訪ねること。国宝5城は終わりました。ゆっくりボチボチ…回ります。

船橋 信苑さんからご紹介いただいた次回の「いけばなじん」は、砂田 智子さん(山梨支部)です。砂田先生のご出身地である盛岡支部・小原豊喜先生にお世話になったご縁で、約15年前、本部主催いけばな講座に参加以来のお付き合いです。お若いのにしっかりしていらっしゃり、何事も最後までキッチリとやり遂げられる前向きさには教えられることがたくさんあり、お話していてとても楽しい方とのことです。どうぞご期待ください。


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