みんなのいけばな

File No.62

吉田 豊秀さん 吉田 豊秀さん 兵庫県/淡路支部

東京で始めたいけばなを 故郷の淡路で研鑽し続けています

人と人のつながりで紹介していくリレー形式の「いけばなじん」

花嫁修業として気軽に始めたいけばな
花に生きる喜びを感じ 花への思いはますます深まる一方です

就職、結婚、子育てと、順風満帆に穏やかな日々を過ごすかたわら、研究会や研修課程へも積極的に出席し、いけばなへの探求心を強く持ち続けてこられた一方で、淡路支部では、永年の幹部を経て2014年より副支部長をつとめていらっしゃいます。
なにごとにも「継続は力なり」をモットーとして取り組んでいらっしゃる吉田さんにお話しをおうかがいしました。

自分と同じ空気感を持つ奥田さんに 親近感をいだいています

 奥田さんと初めてお会いしたのは、1991年の研修課程U期を受講した時でした。当時、私は師事する先生がおらず、大きな壁にぶつかっていたので、皆さんに勉強方法をお尋ねしていました。U期は科目ごとに自由に席を選べたので、お隣の席になった奥田さんにも同じようにお聞きしたところ「泉谷先生(故・泉谷豊宣先生)の教室で教えていただいているけれど、私もいつも試行錯誤を繰り返しているわ」と話してくださいました。気さくな奥田さんは、いろいろな意味で自分と同じ空気感を持った方で、「もっといけばなの話がしたい」と思い、それ以来ずっとお付き合いいただいています。

 普段は年賀状のやりとりぐらいで中々お目にかかる機会が持てませんが、花展や行事で出会うとホッとします。名古屋の地区別研究会でお目にかかった時には、奥田さんの頑張っていらっしゃる姿に勇気づけられました。

親に勧められるままに始めたいけばな 新しい師との出会いでお花の奥深さを知りました


伝統文化いけばなこども教室の生徒と
(2013年10月)

 故郷の淡路島を離れ、就職した東京の職場にたまたま小原流いけばなサークルがありました。お花やお茶にあまり興味はなかったのですが、花嫁修業の一環として勧められ、お稽古を始めたのがいけばなと出会うきっかけでした。その後、「早く帰郷して結婚しなさい」と親に急かされ、まだまだ東京で仕事を続けたかったのですが、仕方なく帰ってきたところ、家から30mほどの至近距離に、何と名古屋から小原流の先生が引越して来られたのです。こうして私と小原流の切っても切れないご縁が始まりました。と言っても、その時はまだここまでいけばなにのめりこむ事になるとは思いもしませんでしたが…。
 当時、師範科U期を修得し、更に、進級講習を受けるために何度か神戸支部の研究会(淡路支部創立前)に出席することになりましたが、そのたびに「いつものお稽古とは違う気がする」となんとなく感じたものの、准教授に進級してからは神戸に行くこともなくなり、なんとなく惰性でお稽古を続けていました。その後、縁あって結婚し、実家に同居することになりました。長男、次男を出産した時も、目と鼻の先に教室がありましたから休むことなくずっとかよいつづけておりました。
 そうこうしているうちに、昭和54(1979)年に淡路支部が創立。最初の研究会には三級家元教授で出席し、“野いばら・りんどう・すすき”で瓶花をいけましたが、後で思えば、野いばらに実をたわわにつけたままのとても恥ずかしい作品でした。この時をきっかけに、自分なりに勉強し、花に取り組む姿勢が徐々に変わってきたように思います。その後、長女、次女を出産しましたが、研究会の日程に差しさわりがなかったのでたまたま皆勤を続けられ、その姿が熱心な会員と映ったのか、支部長から研修課程を薦められ受講することになりました。

 研修課程T期の時、隣の席で受講されていた大阪支部の千足豊鈴さんに、師であり、当時、講師をつとめていらっしゃった林豊扇先生をご紹介いただきました。林先生は私を快く受け入れてくださいました。入門20年余りにして、あらためて小原流の素晴らしさ、奥深さを学ぶこととなり、林先生、林社中の皆様、T期で知り合ったお友達、また家族の協力のおかげで、無事V期まで修了することができました。

何のために花をいけるのか 結局「お花が好き」に行きつきます

 これまでのいけばな人生を振り返ってみて、苦労と言うような事はさいわいほとんどなかったように思います。人間関係で少し悩んだ時期もありましたが、そんな時は「自分は何のためにいけばなをしているのか」と自問し、いつも「お花が好き!もっと上手になって、見てくださる方がハッとするような花をいけたい」という思いに行きつき、気持ちをスッキリさせていました。満足のいく花はいまだに中々いけられませんが、研修課程V期で花菖蒲5株・河骨2株の写景様式をいけた時、ただ一人、参考花をいただき、工藤和彦先生にお褒めの言葉を頂戴して大変感激したことを、今でも鮮明に覚えています。

 淡路支部は、少人数ですが、森豊稔支部長を中心に、家族のようにまとまりのある支部です。平成25年支部創立35周年記念式典の席上で、支部研究会の35年皆勤賞をいただきましたが、本当に35年も経ったのか信じられないぐらいアッと言う間でした。
 京阪神に隣接しており、毎年「新進作家展」、隔年で「神戸ビエンナーレ」にも出展しています。こうした機会があるからこそ研鑽を積めるという反面、経済的・人材的に大変厳しいことも事実です。お稽古の成果として、花展で多くの方に作品をご覧いただきたいという気持ちもありますが、新たにお稽古をしてみたいと思う仲間を増やすために、何か斬新な方法を考える必要性を感じています。


35年皆勤賞

淡路支部創立35周年
横東先生と役員の皆さんと一緒に(2013年6月)

庭に咲く花の生命力に感動の日々 音楽を聴くと身体が自然に動き出します

 自宅の庭は、もともと畑だった広い敷地で、四季折々の花材となる植物を雑然と植えています。5種の椿、木瓜、雲竜柳、板宿楓、鴫立沢楓、蝋梅、唐桃、紫苑、アガパンサス、紫陽花、木苺、とくさ、蛇の目松などなど、花展や講習会で使用した鉢の切り株やお稽古に使った枝を挿し木にするうち、気がつくと大木や群生になってしまいました。これらの手入れのため脚立に上り奮闘する毎日ですが、次々と花を咲かせる生命力に圧倒され、大げさに言えば“生きる喜び”をも感じていますし、みんなの花展などでもとても重宝しています。
 ガーデニングでは、夏はペチュニア・コリウス、冬はパンジー・葉牡丹などを中心に、色彩の合わせ方、高低の変化なども考えながら楽しんでいます。


自宅玄関前のガーデニング

 また、スポーツ観戦は大好きなのに運動能力はゼロな私ですが、30歳の時PTAの関係で仕方なくバレーボールを始めました。最初はレシーブもまともにできなかったのですが、暑い日も寒い日も週1回の練習を30年余りも続けたお蔭で、気持ちだけは全日本のエースになりきりプレーできるようになりました。まさに『継続は力なり』とチョッピリ自負しています。
 ちなみに中学の頃は踊るバレエ、高校時代は舞踊部…音楽が聴こえると身体が勝手に動く体質なのでしょうか(笑)。研修を終えて気持ちに余裕が出た時に、淡路島にもフラメンコ教室があることを知り、大胆にも入門したのですが、残念ながら怪我をした為にこちらは志半ばで断念しなければならなくなりましたが、何を隠そう、次回ご紹介する林さんとはフラメンコという共通点でも結ばれています。


(左)フラメンコの仲間たちと(2006年10月 洲本図書館まつり)
  (右)淡路の文化イベントにて(2006年5月)
【吉田 豊秀さんに一問一答】
好きな花: 椿
厳しい冬には凛と咲く強さと儚さ、春には大木に数えきれないくらいの花をつける華やかさ…と初冬から春まで季節とともに様々な表情を持っている所が好きです。
好きな作家: 葉室 麟
好きな作品: 『蜩の記』、『無双の花』、『散り椿』(いずれも葉室 麟作)
どの主人公にも共通する、ゆるぎない意志の強さや、清々しいまでの忍耐力。私にはないものばかりです。
マイブーム: 4人の孫…大阪と島根で暮らしていますが、帰郷の際一緒に遊んだり、何度も幼稚園の行事に参加したりしているので、「淡路のおばあちゃん」となついてくれます。

海外旅行…日本とまったく異なる自然や景色、歴史的な建造物などを目の当りにして、その素晴らしさに感動しています。特に印象深いところは、ブダペスト(ハンガリー)、プラハ(チェコ)、イギリスの湖水地方など。
(左)プラハ 街角の花屋(2010年9月)
(右)英国湖水地方   (2014年5月)

吉田 豊秀さんからご紹介いただいた次回の「いけばなじん」は、林 陽子さん(東京支部)です。研修課程U期で出会い、お互いの良いところを褒め合い、慰め合って研修を乗り超えられたとのこと。今でも会って食事をすると、その頃の思い出話に花が咲くそうです。どうぞご期待ください。


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