みんなのいけばな

File No.53

南川 美惠さん 南川 美惠さん 石川県/金沢支部

多方面で活躍する女性たちに触発され、家族に支えられながら キャリアアップをめざした私のかたわらには、いつもいけばながありました

人と人のつながりで紹介していくリレー形式の「いけばなじん」。

若い頃から何事にも前向きに取り組んで来られた南川さん。高校時代に出合ったいけばなを続けながらも仕事にも人一倍の努力をしていらっしゃいましたが、あることがきっかけで「頑張らない」ことや人に助けを求める大切さに気づいたとおっしゃいます。
そんなエネルギッシュかつ魅力的な南川さんのいけばな人生をご紹介しましょう。

研修会場で声をかけてくださった山本先生 公私ともに頼りにしているアドバイザーです

 確かな時期は忘れてしまいましたが、山本明豊先生に初めてお会いしたのは研修会場でした。たまたま隣の席になり、お声をかけていただいたのがきっかけですが、顔見知りがなく心細い思いをしていた私には天の助けに思えました。研修中は食事に誘っていただいたり、宿泊先のホテルの部屋で夜遅くまで話し込んだりと、いけばな以外の楽しみも増えました。先生は山歩きをされるので、花材採取の楽しいお話や社中展のこともお聞きすることができ、心躍る毎日でした。

 仕事が忙しくなり、やむなく研修を中断した時期もありましたが、山本先生が励ましてくださったおかげで再受講する気持ちになれました。叱咤激励の中、ようやく卒業でき、山本先生には本当に感謝しています。

 山本先生が熱心に出席されている幹部研修会に私もできるだけ参加し、年数回ではありますが先生との逢瀬(?)を楽しんでいます。いけばなに限らず料理や健康に関する「ワンポイント・アドバイス」もいただき、本当にありがたく、我が家では「困った時の山本先生」と頼りにしています。


支部研究会でいけた作品

高校の部活で知ったいけばなの奥深さ 「青年の船」体験も人生に影響を与えました


支部研究会でいけた作品

 昭和41年、子どもの頃から憧れていた高校に入学したのですが、入ってみると前身の旧制男子校の伝統を引きずり、すべての中心は男子生徒、三人姉妹で「女性も自立しなければ」という環境で育った私には想像すらできないことばかりでした。そんな学校で女子が唯一部長を務めていたのが「華道部」で、当時15名ほどの生徒を指導してくださっていたのが小原流の鳴海豊緑先生でした。以来30年以上にわたってご指導いただいた私の恩師です。何事にも一生懸命で、80歳を超えても現役を貫かれた先生の姿は私たちの憧れであり、目標でした。

 入部した年の秋、「夏はぜ・桔梗・女郎花」という取り合わせで傾斜型の瓶花をいけました。お稽古を始めて10回にも満たない生徒にとっては何とも無謀な挑戦ですが、これが私をいけばなのとりこにしたのです。それまでは決められた型どおりにいけることしか考えていなかったのが、季節や植生を大切にしながら秋の雰囲気を漂わせることを求められ、いけばなの奥深さを再認識させられ、漫然と見ていた植物にも季節があり、育った環境があることを知りました。さして熱心な弟子でもなかった私が今日に至るまでいけばなを続けてこられたのも、鳴海先生との出会いとあの経験があったからだと、先生には心から感謝しています。

 20歳の時参加した、当時の総理府主催による「青年の船」も貴重な経験です。全国から集まった300人の仲間と船上で2カ月間共同生活をしながら、東南アジア6カ国を回り、各国の青年たちと交流を図るというものですが、青少年活動のリーダーを自認するメンバーばかりですから個性や自己主張が強い人が多く、引っ込み思案な私は圧倒されっぱなしでしたが、そこで「一歩前へ出る」ことを意識せざるを得ず、またそれに見合う実力をつける努力を求められました。

 この経験はその後の仕事への取り組みにも大きな影響を及ぼしました。当時はまだ「女性の仕事はお茶くみとコピー」という認識が一般的でしたが、それに反発した私は、簿記をはじめ経理、経営なども独学で勉強し、お客様の質問には自分で答えられるよう努める一方で、お茶くみやコピーも手を抜きませんでした。日本一のお茶くみをめざしてお茶の淹れ方やお茶出しのタイミングを研究したり、コピーは情報の山ですから、他の人に任せる手はないと考えました。
 そんな地道な努力を認めてくれる人も現れ、ケーブルテレビ局の経営に加わる機会を得ました。その仕事を通じて知り合ったのが、全国各地で農業経営に携わる女性たちです。彼女たちとは今も年一回情報交換会をおこなっていますが、まさしく自立した「輝く女性たち」に触発されることばかりです。


尊敬する農業経営者の女性たち。金沢で情報交換会を開催(東茶屋街にて)左から2番目が南川先生

「教えることは二度習うこと」 友人や家族の支えに「頑張らない」も学びました


ある日の教室の風景

 入門してから10年余りたった頃、「教えることは二度習うこと」と先生から弟子をとることを勧められました。開設には稽古の場所や日にちを工夫することが長続きする重要な要素という大切なアドバイスもいただきました。また、地元の他流の先生方にもかわいがっていただけるようにとの教えは、今も深く心に刻み込んでいます。とはいえ、フルタイムの仕事を抱えながらの教授活動は想像以上に厳しく、急な残業が入った時などは、周りの方々に迷惑をかける心苦しさから何度もやめようと思ったほど。まさに綱渡りの教授活動でしたが、そんな時助けてくれたのが鳴海社中の友人で、皆が代稽古も快く引き受けてくれ、教室を続けるよう励ましてくれました。

 平成18年に仕事を退職し、いけばなに専念しようとした矢先、今度は母の介護が始まりました。家事の一切を引き受け、私のキャリアアップをいつも蔭ながら支えてくれた母ですが、慣れない家事と介護は思わぬストレスとなり、私まで体調を崩してしまいました。ものごころがついてから「歯を食いしばる」ことしか知らずに頑張ってきた私でしたが、これを機に『頑張らない』を第一に考えるとともに、辛い時には「助けて」と言えるよう心がけるようになりました。

 両親とともにもう一人の支えである夫は、会社経営に携わり、意識の転換を求められた時、私のよき相談相手になってくれました。厳しい口調でいろいろ意見されるとつい反発してしまいますが、私にはない彼の「経営者の視点」「男性の視点」にはずいぶん助けられました。


こども教室の様子

こども教室の参加者が残った花材などで押し花を作り、巾着に貼り付けて自分だけの巾着≠作りました

「いけばな王国」金沢支部で 若い世代を育てていくのがこれからの務めです

 白山市は、その名のとおり白山を水源とする手取川の扇状地の北半分を占め、農林水産業が大きなウエートを占めるのどかな田園地帯で、この山頂から日本海までに広がる市域に11万人が暮らしています。晴れた日には我が家の前からも白山の美しい姿を望めます。豊富な白山水系の伏流水でつくられた清酒は、海外へも輸出され高い評価を受けています。私はアルコール類を受け付けない体質なので、残念ながら「猫に小判」なのですが…。

 さて、金沢は「いけばな王国」と呼ばれるほどいけばなが盛んな地域です。諸流合同の花展は年に7回以上あり、社中の出瓶者ものべ40名を超えます。それだけに作品を考えるのも一苦労で「どこかで見たような…」となることも実はしばしば。生の花材は管理や手入れは大変ですが、エネルギーはなにものにも勝ると思うので、こだわりとしてどの作品にも必ず1つは「ナマモノ」を使うようにしています。

 花展は小原流をPRする場、いけばなに関心のなかった人を引きつける場と考えています。初級クラスには「私にもできるかもと思わせる作品」を、上級クラスには「小原流いけばなの奥深さを表現できる作品」を心がけるよう指導していますが、お客様はどう評価してくださっているのか、一度聞いてみたい気もします。

 昨年、金沢支部は創立60周年を迎え、お家元のご指導を仰いだ記念花展を金沢21世紀美術館で開催しました。出瓶者は300名、3日間の入場者も2万人を超えるなど、他流の皆様の間でも語り草になるほどの盛況ぶり。準幹部を中心とした若い世代が進んで参加し、心から楽しみながら協力してくれたことが何よりの収穫でした。この若い芽をますます大きく育てていくことが、私たち団塊世代の今後の務めであろうと思っています。


金沢支部創立60周年・青年部設立25周年記念作品集「陽炎の瞬間」
【南川 美惠さんに一問一答】
  • 好きな花/紅葉 この時期は日本に生まれた幸せを感じます。
  • 好きな画家/長谷川等伯 七尾出身ということが一層心を引き付けられます。
  • 好きな文学/源氏物語 研究者をめざそうかと考えた時期もあります。
  • マイブーム/草木染め 植物の力に感動する瞬間。図案を入れるまでにはいたっていませんが、楽しんでいます。

南川 美惠さんからご紹介いただいた次回の「いけばなじん」は、那須 和子さん(滋賀支部)です。研修過程T期で知り合ってから、一緒に小旅行も楽しみ、姉妹と間違われるほどの間柄になりました。いけばなと会社勤めを両立させ、若いながらもしきたりや慣習にも詳しい素敵な方だということです。どうぞご期待ください。


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