みんなのいけばな

File No.48

山本 晶子さん 山本 晶子さん 愛知県/豊橋支部

いけばなも仕事も長く続けてきたからこそわかることがある 先生や先輩方に助けられながら、いけばながますます楽しい日々

人と人のつながりで紹介していくリレー形式の「いけばなじん」。

 お母さまや妹さんに続き、何気なく始めたいけばなに、今やドップリはまっているという山本さん。仕事を持ち、時にはいけばなとの両立に苦しみながら、そのたびに先生の理解や支部の先輩方の頑張りに影響を受け、自分らしく歩んでこられました。二束のわらじを履きつつ、進行形でいけばなに打ち込む山本さんからお話をうかがってきました。

楽しくていけばなにも熱い天野先生 偶然にも好きな画家も一緒でご縁を感じました

 2010年の研修課程T期の時、研修1年目の皆さんで一緒に食事をしたのが、天野先生と知り合うきっかけとなりました。以来、研修の時はいつも一緒にご飯を食べ、そのたびお花について熱く語り合うなど、親しくさせていただいています。
最初、天野先生に対しては「落ち着いて優雅な奥様」という印象でしたが、実際お話ししてみるととても気さくな方で、行動的な一面もお持ちなので、おしゃべりをしていても楽しい話題が尽きません。ある時、研修中の宿泊ホテルの部屋に天野先生から電話がかかってきました。「お部屋でいけてみたの。ちょっと見に来て〜!」。すぐさまお部屋に伺い、先生のお花を前に「こうした方がいいかしら?」とミニ勉強会をした思い出もあります。お花については私よりずっと熱心で行動的でいらっしゃいます。

 普段はメールで連絡を取り合っています。先日も「燕子花の様式」について、まるで通信教育のようにメールをやり取りしました。お互い、「様式」になるとついつい熱くなってしまうんです(笑)。

 直接お会いできるのは研修の時に限られてしまうのですが、名古屋の花展や東京の家元初個展会場でばったりお会いしたり、熊谷守一画伯の猫の絵のポストカードをお送りしたところ、それが偶然、天野先生のお好きな画家だったと後にわかったり…と先生とは本当にご縁を感じています。

母と妹の影響で始めたいけばな 今では誰よりも私が長く続けています

 私がいけばなに出合ったのは、社会人になってしばらくしてからです。母から「何か一つぐらい身につけておかないと恥ずかしいから、お茶かお花でもやったら?」と言われたのがきっかけです。当時、母と妹が清水香道先生(現豊橋支部参与)に教えていただいていたこともあり、「じゃあ私もお花でもやってみようかな」くらいの軽い気持ちで、同じく清水先生のお教室に入門しました。
 妹は結婚を機に、私の肩を押した当の母も市民教室のような講座だったので、いつの間にかお稽古をやめてしまい、結局、最後にお稽古を始めた私が一番長く続き、今に至っているというわけです。
 入門したてのころは、お花をいけるのが本当に楽しく、お稽古場でいけ直し、帰宅後またすぐにいけての繰り返しが毎回待ち遠しいほどでした。今思えば、私がいけたお花を母が何となく見ていてくれる様子が感じられてうれしかったのでしょう。家でいけるのが楽しい。その積み重ねが今の私の「いけばなじん」としてのベースを作り、今まで続けられたのかもしれません。今更ながら、母には本当に感謝しなくてはいけませんね。


沖縄への家族旅行で母と一緒に(2009年3月)

自宅で文人調の練習(2013年6月)

 とはいえ、辛い時期もありました。仕事が忙しい時、お稽古場へ行くのが夜遅くなり、お花をいけることが楽しく感じられなかったのです。研究会も数年お休みしていた時期もありましたが、お稽古仲間の皆さんとお話しするとホッとするので、夜遅くに伺い、お花はいけず、お茶を飲んでお話だけして帰ることもしばしば…。こんな私でしたが、清水先生はいつもきちんとお花を準備し、どんなに遅くなっても快く迎えてくださいました。先生のご理解があればこそ、休みながらでもお花を続けてこられたのだと本当に感謝しています。

豊橋支部の青年部活動を通じて 多くの貴重な経験を積むことができました

 豊橋支部では10年ほど青年部部長として活動に参加し、2003年には青年部として初のミニ花展も開催しました。以前に自分たちで花展を実施した経験はなかったのですが、それだけにみんなで協力してやり遂げる達成感を味わえました。その時の模様は2003年の『華路vol.28』にもとりあげられ、とてもうれしくて今でもその掲載誌は大切に持っています。


豊橋支部青年部ミニ花展(2003年5月)が掲載された『華路vol.28』の表紙と誌面

青年部花展での山本さん出品作(手前のブルーのワインボトルとグラスのセット)(2003年5月)

 2011年に近畿・中部地区の青年部作品展が豊橋で開催されたことも大切な思い出です。お家元にもお越しいただきましたし、近畿・中部地区の青年部の方々とのふれあいや豊橋支部の会員と協力し合って実施できたことは、本当に楽しく、また貴重な体験となりました。


豊橋で開催された第19回近畿・中部地区青年部作品展。受付テントで皆様をお迎え(2011年)

第17回近畿・中部地区青年部作品展(奈良県)の豊橋支部作品の前で。先生方・青年部と(2009年)

 現在、支部準幹部を経て、研修部で仕事をしています。支部役員になってすぐの2010年2月に豊橋支部創立30周年記念花展に参加したことも大切な思い出です。このような大きな花展に役員として参加するのはもちろん初めてのことで、日ごろのお稽古とは違う貴重な経験をたくさんすることができました。花展を創り上げられる先生方のエネルギーにも驚かされましたが、それ以上に出来上がりの素晴らしさに感動し、大変大きい達成感を味わいました。


豊橋支部30周年記念花展の会場にて担当コーナーの前で(右が山本さん 2010年2月)

 大きなイベントにも役員や会員が一丸となって取り組み、協力し合えるのが豊橋支部です。現在、私が支部で仕事ができているのも、青年部活動を一緒にやってきた仲間がたくさんいること、それを理解し支えてくださった先生方や先輩方がいらっしゃったおかげです。私にとって青年部活動は「大切な仲間づくり」の時間でした。だからこそ、今の活動にもつながっているのだと思います。


豊橋支部新年初会で役員の皆さんと一緒に新年初会会場迎え花を制作(2013年1月)

切削工具メーカーの輸出部門に勤務 お花も仕事も続けることで良さがわかります


上海の会社のスタッフと一緒に奈良へ観光旅行
(中央が山本さん2005年4月)

 いけばな以外には何も趣味がない私ですが、製造メーカーに勤務し、海外からの注文処理、発送手配、輸出手続きなどの業務に携わっています。時には海外からの来客に応対したり、イベントに関わることもあり、普段接する機会のないお客様と直接お会いする喜びやいろいろな国の方とお話しできる楽しさを味わうこともあります。

 男性中心の業界ですが、輸出業務は女性も活躍でき、永年働き続けている方が多い部署です。現在、職場には私を含め12名の女性がいます。「女性が多い職場は派閥とかがあって大変じゃない?」と聞かれることも多いのですが、皆さんの期待を裏切って(?)大変なことは本当に何もありません。職場の皆さんに感謝ですね。


毎年職場で海外に送るクリスマスカードに載せる写真撮影。この年は世界の国旗がテーマ(後列左から2番目が山本さん 2011年11月)

 最近、新入社員に必ず言うことがあります。「少しくらい仕事が気に入らなくても、やめないで続けてね。続けることが実力になって、後から評価もきっとついてくるから」。そうして後輩を励ますのが私の役割かなと思うようになりましたし、さまざまな経験を経てそう言えるだけの自信がついてきたような気がします。いけばなも同様で、長く続けることで、良さがいっそうわかるようになってきました。仕事もいけばなも基本は同じなのだと並べて考える余裕が出てきました。
 とエラそうに言っていますが、実は、そんな風に考えられるようになったのはつい数年前からで、以前はいけばなに対して、それほど明確な目標や目的はありませんでした。研修課程に参加したのも、行けば何かが変わるかもと思ったのがきっかけです。受講した結果、その予想をはるかに超え、私にとっては「第二の入門」くらいの衝撃を受けました。お花が楽しくて楽しくて…今に至っています。
 仕事は他の人にやってもらうことができますが、研修課程は他の人に行っていただくわけにはいきませんから、仕事を人に依頼するのが上手になったのかもしれませんね。ただし感謝の気持ちを込めて、職場へのお土産選びはいつも真剣です!(笑)

【山本 晶子さんに一問一答】
  • 好きな花/白い百合、藤、牡丹
  • 好きな画家/フェルメール
  • 好きな作品/中学時代、美術の教科書に載っていた『牛乳を注ぐ女』を見てからファンになりました
  • マイブーム/韓国王朝ドラマ(私の中では韓流カムバック!)

山本 晶子さんからご紹介いただいた次回の「いけばなじん」は、辻 由美子さん(鹿児島支部)です。2010年の研修課程からずっと一緒の「花とも」で、ホッと安心できる癒しの雰囲気を持ちつつ、「お笑い担当だから!」と周りを和ませるユーモアがある方ということです。どうぞご期待ください。


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