みんなのいけばな

File No.41

阿部 潤一朗さん 阿部 潤一朗さん 宮城県/仙台支部

上手ないけばなではなく、美しいいけばなをめざして。いけばなの背景にある日本人の美意識を伝えていきたい。

人と人のつながりで紹介していくリレー形式の「いけばなじん」。

 日本人としてのアイデンティーを見つめようといけばなを始めた友人の一言から、ご自身もいけばなに挑戦したのが東京での勤務中のこと。平成23年3月11日の東日本大震災が宮城を襲い、県庁職員として必死の復旧復興業務に携わりながら、死生観の変化とともに、新たに自然の美しさをいけばなとして表現しようと歩みを進める阿部さんに、お話をうかがいました。

バイタリティーにあふれた安原先生。いろいろ質問されたことを覚えています。

 安原先生とは、平成21年夏の研修課程T期で初めてお会いしました。たまたま席が近く、どちらから話しかけたかは忘れましたが、私の名札の“仙台支部”から「(鈴木)英孝先生の御社中ですか?」と聞かれたのを覚えています。私が男性であったためか、それ以外にもいろいろ質問されましたが、その時の安原先生は「バイタリティーのある人だな。研修でもバリバリなさりそう」という印象。「(鈴木)先生の弟子なのに下手くそだと言われるのは嫌だ」と思い、できるだけ先生のことには触れないようにしましたね(笑)。

 現在は倉敷と仙台と、お互い遠いので、あまりお会いすることはできず、メールでのやり取りが専らですが、情報交換をさせていただいています。研修での毎年の再会を楽しみにしています。

海外勤務の経験から友人が始めたいけばな。私にご縁があったのが小原流でした。


鈴木英孝先生にダメ出しされてしょんぼり
(2012年11月)

 現在は宮城県庁で行政事務をしているのですが、いけばなを始めたのは東京に赴任していたときの職場の友人の影響です。在外公館に勤務経験のある友人が、海外に駐在していた頃、現地の人から「君の日本人としてのアイデンティティーは何か?」と聞かれ答えられず、帰国後にお茶といけばな(池坊)を始めたというのです。「僕の日本人としての根拠は、日本文化だと思った」という彼の話を聞き、いつか海外で仕事してみたいと思い、社会人として何かを“たしなみたい”と考えていた私は、早速いけばな講座の資料をインターネットで請求しました。中でも小原流は、資料送付のほかに電話でもいろいろと教えてくれ、面倒見がよさそうだと思い入門したのです。思えば小原流との出合いもご縁だと思います。
 それから交通の便がよかった青山の本部教室(ビギナーズ教室)に通い始めました。とはいえ、いけばなが本業ではない私には、稽古に出席するため仕事のやり繰りに苦労することもありました。

 支部研究会では95点をいただけることが多かったのですが、全国レベルではどうなのか?と思い、研修課程に参加するようになりました。参考花の札が立ち、喜んでいる私の顔を見て、審査の先生でもある親先生の鈴木英孝先生がニコニコされるお顔を見て、うれしく思いましたし、研修課程T期を修了できたときは、大変うれしかったです。ただ、作品として出品できるような花はまだいけられていませんので、これから頑張りたいと思います。

未曾有の東日本大震災で壮絶体験。親先生のおかげでいけばなを再開しました。

 3月11日の東日本大震災のときは沿岸部の庁舎に勤務しており、1階の天井部分まで津波の被害を受けましたが、幸い職員は無事でした。しかし上司のご両親は津波の犠牲になり、自宅を失った同僚もおりました。津波で何もかもなくなり瓦礫の山となった道路や港湾の復旧作業に従事しましたが、津波の爪痕はまさに地獄絵図で、悲惨の一言でした。震災直後は食糧や燃料も不足し、仮事務所の廊下に泊まり込んでの震災復旧業務でしたので、4カ月後に業務から離れたときには、体重が8キロ落ちていました。

 震災後、さすがに花をいける気持ちにはなりませんでした。しかし、親先生が教室を再開され、「師匠として何もできなくて申し訳ない」とおっしゃいつつ稽古をつけてくださったので、仕事の合間をみながら教室通いを再開しました。正直、楽しくは感じませんでしたが、親先生や支部長先生の強く温かい姿勢に勇気をいただきました。そして、私もいけばなを志そうと思い直したのです。

 4月には大きな余震があり、顔と頭にけがをしたり、職場の環境もすべてが震災復興優先になり、忙しくなりました。役所なので当然といえば当然ですが、体調を崩す職員も非常に多くなりました。たくさんの方が亡くなった被災地で震災の影響を受けなかった人は誰もいないと思います。私自身、今までの生き方や人間関係、生活と仕事を問い直し、人生観も大きく変わりました。


いけばなを始めたころ、職場の皆さんと

子どもの頃親しんだ自然や読書も知識に。いけばなは日本人の美意識や思想そのものです。

 実は、私は長野市の出身です。幼い頃はもっと身近に豊かな自然がありました。屋外の遊びを通じて、四季の移り変わりや植物の生としての営みを見、何かを感じていたのだと思います。思えば、子どもの頃の遊びや今まで読んできた本もいけばなの周辺知識となっていると感じています。いけばなの季節感や自然を表現するうえで大きく影響を与えています。それでも、よい影響としては、まだきちんと表現できてはいませんが。

 私をいけばなの世界に誘った友人は、今、競技カルタに凝り、小学生のお子さんと一緒に楽しんでいるそうです。この話を聞いて、日本文化もいわゆる文化人だけでなく、我々のような庶民が親から子へ伝承していくものなんだなあと感じました。いけばなは日本人の美意識であり、日本人の思想そのものだと思っています。いけばなの技術を身につけることで、日本人の自然のかかわり方やモノの見方、考え方の歴史を探究することができると思うのです。


稽古風景(2012年11月)

 現在の目標は、研修課程V期修了です。先生に許していただければ、講師試験にも挑戦したいと思っています。上手にいけるのではなく、美しくいけることも目標です。いけばなじんとしては、多くの人に花をいけてもらうことが夢です。特に外国の人たちには、いけばなの背景にある日本人の自然観や美意識を理解していただきたいと思っています。いけばなが人と人とのつながりのきっかけになるようかかわっていけたら、本当にうれしく思います。


【阿部 潤一朗さんに一問一答】
  • 好きな花/リンゴの花。春に咲く、白く淡いリンゴの花と、残雪の北信濃の山々の風景が好きです。
  • 好きな小説家、作家/司馬遼太郎(作家)、西研(哲学者)
  • おすすめの本/『坂の上の雲』『峠』(司馬遼太郎)、『哲学の練習問題』(西研)
  • マイブーム/韓流パック。震災復旧の現場で、ヒリヒリ日焼けした後のお肌ケアとして始めました。


福田先生とともに
(左が阿部さん、右が福田さん 2012年11月)

阿部 潤一朗さんからご紹介いただいた次回の「いけばなじん」は、福田光珠さん(多賀城支部)です。多賀城支部長のお母様を筆頭に、ご自身、お嬢様と三代にわたる小原流人で、震災時には炊き出しをなさったりと、明るいお人柄と心の優しさをお持ちの女性。支部では準幹部としてご活躍とのことです。どうぞご期待ください。


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