みんなのいけばな

File No.38

濱口 翊博さん 濱口 翊博さん 大阪府/大阪支部

いけばなも研究者への道も、奥が深いからこそ好奇心がそそられる。これからも自分らしい探究を続けていきたい。

人と人のつながりで紹介していくリレー形式の「いけばなじん」。

 高校の部活動で運命的にいけばなと出会った濱口さん。持ち前の探究心と行動力で「花をいける」ことが東洋芸術の「道」を精進することだと、教授者としても日々前進なさっています。とにかくパワフルだったという高校生時代を振り返りながら、濱口さんのいけばなへの思いを語っていただきました。

廃部の危機を知って高校の華道部へ先生から人としての教えも受けた貴重な日々。


第16回大阪地区学生いけばな競技会にて

 松井先生とは、2001年4月に入学した大阪府立東豊中高等学校(現:大阪府立千里青雲高等学校)の華道部で出会いました。当時、いくつかのクラブを掛け持ちしたいと思っていた私は「今年入部者がいなければ廃部になる」と顧問の先生からお聞きして、園芸や自然に興味を持っていたこともあり、月2回のお稽古ならと入部しました。初めてのお稽古では、先生と「男性なのにいけばなを習うのは珍しい」という程度の会話をしたかもしれませんが、往時の記憶は薄れてしまいました。

 松井先生は、美人でさっぱりした方という印象でした。毎回出席するのは少数で、再開した華道部が軌道に乗るのは時間がかかりました。注文したお花の扱いに松井先生や顧問の先生も困っておられたようで、「この先、どうしていきましょうか」という会話をよくしていました。それでも、入部して初めて参加した大阪地区学生いけばな競技会で、部員全員が佳作や優秀賞に入賞したことに、松井先生や顧問の先生も大変喜んでおられました。そうして月日が過ぎ、先生が産休に入られることになった頃、人への振る舞い方や大人のマナーに関するお話、先生ご自身の半生などをうかがう機会があり、社会の仕組みをまったく知らない高校生にとっては、大変貴重なお話だったことを今でも覚えています。

 高校卒業後は予備校通いや静岡大学への進学などで、なかなか学校へ顔を出す機会もなく、また大学在学中に母校の統合もあって、ますます足は遠のくばかりでした。大阪大学大学院に入学して数年後、ふとしたきっかけでいけばなを再開し、かつてご縁のあった方々とも再会することができて、とてもうれしく感じています。

部活4つに生徒会役員と、八面六臂の高校生活。二度と経験できない濃密な青春時代を送りました。


東豊中高校文化祭における園芸生物部の先輩との
記念写真。後ろのポスターは文化祭に展示したもの。

園芸生物部で耕していた裏庭。チューリップ花壇の
奥にあるのが池。この花壇は後に田んぼになり、この
田んぼと池を利用したビオトープを作りました。

 「入部者がいないと廃部」。このきっかけがなければ、いけばなを始めることもなかったでしょう。華道部として当時の思い出で印象に残っているのは部運営の難しさでしょうか。大学受験を控えた3年生の時には顧問の先生が転勤で交代されてしまい、新任の先生にも私が部の運営方法を伝えているような状態でした。さらに松井先生のご懐妊で部の大きな柱を失う事態もありました。
 当時は、華道部以外にも園芸生物部、パソコン部、将棋部の掛け持ちに加え、生徒会役員も務めており、パソコン部では学校のホームページをつくり、将棋大会に出場し、生徒会役員として体育祭や文化祭の準備に夜遅くまで取り組む…まさに若さにものを言わせた日々でした。
 中でも最も時間と労力を捧げたのは園芸生物部の活動です。雨の日も晴れの日も暑い日も寒い日も、鍬を片手に飽きることなく広大な裏庭を開拓していました。四季折々の野菜を育て、ハーブを植え、池ではビオトープ、田んぼで稲作と、随時栽培計画を作成し、日々農作業にあたっていました。

 このように、自由闊達で生徒や教職員がともに和気あいあいとした雰囲気の中で送った高校生活は、私の人生においてかけがえのないものとなりました。静岡から、また縁あってこの北摂の地に戻っていけばなを再開した今、廃部を何とか回避し、現在も存続している華道部を思うと、あの時、めげずに踏ん張りきった甲斐があったと改めて喜んでいます。


沖縄での修学旅行での写真。生徒会役員として、夜のレクリエーション大会ではビンゴゲームの司会をやり、アタック・チャンスのモノマネをしていました!

教える立場になっていけばなの魅力を再発見。技能だけでなく、東洋芸術の神髄を伝えたい。


阪大生花部での指導の様子

 大学院での学業といけばなとの両立に初めのうちは苦労しました。いけばなと研究活動の棲み分けが今ほど明確でなかった頃は、いけばなの楽しさを感じる反面、研究活動を怠けているという後ろめたさもありました。しかし、准教授の資格を授与されると「せっかくなので教えてみては」という声に押され、地元の石橋商店街で一日体験教室を開く機会を得ました。その時、いけばなに興味を持たれた阪大生の要望から、非公式サークル「阪大生花部」が誕生したのです。こちらも運営の難しさはありましたが、生徒さんから「いけばなが楽しい」「こんなに美しいものだとは思わなかった」とおっしゃっていただいた時には、とてもうれしかったです。その後、紆余曲折あり梅田に教室を開いたのですが、この阪大生花部の経験が大きく生かされました。部員の皆さんには本当に感謝しています。


支部研究会でいけた作品

 現在、梅田堂島教室で毎週水曜、阪大生花部で月1回(不定期)指導しています。毎週の梅田堂島教室では、単に花をいける技能だけでなく、花材の由来、花言葉、いけばなの社会的意義や歴史といった教養もお伝えすることも重視しています。華道に関する古文書・文献・学術論文、花器に用いる陶芸品の収集をはじめ、自然散策を通じて写景観も磨くよう心掛けています。また茶道や書道の修練も積み、日本の伝統文化を支える「道」すなわち、芸術活動を通じて個人の内面を陶冶するという東洋芸術の奥ゆかしさを学び、いけばなに生かしていくことを常に考え、行動しています。


支部研究会でいけた作品

「民営化」研究といけばな教授。どちらも欠かせないライフワークです。

 大学院での研究テーマは「民営化」です。静岡大学で人文社会科学としての経済学を通じて、資本主義と社会主義の素晴らしさと矛盾を学び、先達の矛盾を改善したく大阪大学大学院に入学しましたが、抽象的な研究テーマから具体的な研究テーマに辿りつくまで、大学院入学から延べ30ヶ月を費やしてしまいました。とはいえ、1つの分野だけを追及するのではなく、多くの研究分野との接点が存在する研究テーマであるため、それを如何にして形にしていくかと言う点において、研究者としてのアイデンティティーが問われています。自分を失いかけていた時期にいけばなを教授する機会を得ることができ、さまざまな方と接することで自分の狭い世界が広がったことが、研究者を目指す私の支えとなりました。
 未知の世界を常に探究したいと思う私にとって、いけばなは最早かけがえの無いものです。今後もし可能であれば、母校華道部の指導にも携わってみたいですし、大学華道部を対象とした学生いけばな競技会開催の立ち上げにも携わってみたいと考えています。


静岡大学時代、法社会学研究会という伝統ある勉強会サークルでの仲間と卒業式に撮った記念写真。法学・経済学・社会学・歴史学・理学という多種多様な学問的視点を学べました。

 西洋芸術には、その特徴である批判精神、つまり「普遍的な美を創造するためには作品の至らぬ点への指摘を受け、その改善を模索していく」という創造的精神が尊重されています。東洋芸術には欠けがちな視点ですが、私は他者からの批判はプロ・アマ問わず甘んじて受け入れ、その超克を目標にしています。また、適切な時期をみてパリへの留学を考えているので、今はいけばなに関する深い学識を探究し、総合的・学識的にいけばなを教授することで、日本社会の歩みと歴史の理解を深めておきたいと思っています。
 「いけばな」と「民営化の研究」という奥が深いこの二面をうまく調和させながら、今後も活動していきたいと思っています。


2007年、静岡大学3年生時代に先輩と四国歩き遍路に出かけた時の写真。この後も、遍路を3人で断続的に続けています。愛知県の知多遍路にも向かいました。
【濱口 翊博さんに一問一答】
  • 好きな花/モネのヒマワリ
  • 好きな小説家、音楽アーティスト、映画監督/水野良、中島みゆきと武田鉄也、市川昆
  • おすすめの小説、音楽、映画/水野良『ロードス島戦記・魔法戦士リウイ』、中島みゆき『流星』(彼女は最近より昔の曲が好きです)、武田鉄也『雲がゆくのは』、市川昆は金田一シリーズ、特に『犬神家の一族』
  • マイブーム/朝起きて、シャワーを浴びて、音楽を聴いてから家を出ること。ホワイティー梅田のピッコロ2で、モカ・アルソワイドの香りを楽しむこと。茶・華・書道と工芸

濱口翊博さんからご紹介いただいた次回の「いけばなじん」は、井上陽子さん(神戸支部)です。すらりとした美人で、テキパキした仕草とハキハキした口調を備えた明るい雰囲気の魅力的な方とのことです。どうぞご期待ください。

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