みんなのいけばな

File No.37

松井 豊桜さん 松井 豊桜さん 大阪府/大阪支部

「人に喜ばれる人間」をめざして、ラッキーいけばな人生プラスαをひた走る。

人と人のつながりで紹介していくリレー形式の「いけばなじん」。

 中学時代に、ほんのきっかけからいけばなを始めた松井さん。20代では青年海外協力隊の一員として中米のコスタリカでいけばなを教え、お子さんを授かってからも持ち前のパワーでご自分の世界を切り開いてこられました。その語り口からは、ユーモアあふれるお人柄がにじみ出てきます。

田中さんは、しっかり者なのに天然キャラ。研修課程で各地の仲間と出会えて幸せです。

 田中さんとは、私が平成6年から始めた研修課程で初めて出会い、仲良くなりました。飼っているお互いのワンちゃんの話をして大盛り上がりしたことが一番印象に残っています。同じくそこで知り合った方々とも一緒にみんなでワイワイ楽しく勉強しました。
 File34の樋口さんや35の間アさんとも仲良しで、間アさんの回の最初の写真の中央に写っているのは実は私なんですよ!
 田中さんはしっかり者なのに、時々お嬢さま育ちの天然キャラが現れます。年下の私から見ても、それがまたたまらなくカワイイのです。「さぞかし、だんなさまに愛されているんだろうなぁ」と想像させる魅力的な女性です。今では支部長におなりになったのに変わらず接してくださって、光栄に思っています。田中さんがお住まいの徳山と私が住む大阪では距離的に遠く、お会いすることはなかなかままならないのですが、年賀状をやりとりしながら電話では時々お話ししています。
 このように各地の「いけばなじん」と知り合うことができるのが研修課程の魅力でもあります。私はそこに参加できてとてもラッキーでした。

独身時代から「いけばなまっしぐら」人生へ。高齢出産は自分を見直す機会になりました。

 中学2年生の時、たまたま幼稚園時代の同級生と親子同士でバッタリ遭遇。それが、私がいけばなを始めるきっかけとなりました。その再会がご縁となり、そこのお宅に出稽古に来られていた山村流のお家元に日舞を、そしてそのお隣で教えてらした三嶋豊月先生に小原流を習い始めることになったのです。ピアノや英語などとは違い、いけばなは宿題や予習がありません。当時、たくさんの習い事で忙しくしていた私ですが、結局いけばなだけはずっと続けることができました。

 実は、41歳で初めての子どもを出産しました。それまではいけばな活動が自由にできる身分だったのですが、遅くに産まれたという事情もあり、子どもを育てることを優先すべしと自分に言い聞かせ(周りにも言われました!)、生活スタイルも変えざるを得ませんでした。それまでの「いけばなまっしぐら人生♪」を見直す機会となったのです。
 研修課程は三期まで進んだものの文人調いけばな講座1単位がまだクリアできておらず、継続するのは無理だと判断し、リタイアしました。幹部もリタイア、研究会もリタイアと、ステップアップは断念続きでしたが、教授活動だけは早い復帰を望まれましたので、両親と夫、周りの皆さんの協力と応援のおかげで、生後2ヶ月目から少しずつ仕事を再開しました。とはいえ、やはり41歳の出産直後の身では体力的にきつかったです。
 その息子が6歳くらいになった時、彼に「たてるかたち」や「かたむけるかたち」を2〜3ヶ月間教えたことがあります。ところが、息子はあまり興味がない様子。電車のオモチャと遊んでばかり、教えるこちらは疲れるばかりでガックリ。母としては、ちょっと残念でした。


息子6歳とその作品(2008年2月)

 話はさかのぼり、20代の終わりで二級家元教授になった頃、青年海外協力隊の試験に合格し、いけばな隊員として中米コスタリカ共和国で2年間活動したことも忘れられない思い出です。現地では不足するだろうと、機材をいろいろ考えて送ってくださるなど、三嶋先生にもずいぶんお世話になりました。


コスタリカ共和国首都サンホセ市内で(1990年)

 私が配属されたのは「芸術家の館」。本格的なカルチャースクールのようなところで、そこでいけばな教室を運営しました。2年間で8クールほど、のべ100人ぐらいの生徒さんが習いに来てくれました。
 支援物資の中には器や剣山もありましたが、できるだけ現地調達しようと考えました。コスタリカには陶芸もあるので、器はすぐに作ってもらえて楽でしたが、剣山は金属加工所を探し歩いて金型から作ってもらうなど、少し苦労しました。しかも、試作品とは違う材質の剣山を納品され、使うと水が茶色くなってガッカリするなど、失敗もたくさんありました。とはいえ、実は一番苦労したのが、海外ではいずこも同じ「花材調達」です。


「芸術家の館」での教室風景(1990年)

教室で生徒さんたちと(1991年)

 都市部だけでなく、地方に出向いてデモンストレーションしたこともあります。青年海外協力隊の隊員事務所の方々にご協力いただき、機材や花材を運び込んで、40人ぐらいの前でいけばなを教えましたが、脇の下にじっとり冷や汗をかきつつ浴衣で奮闘したことも、今となっては思い出のひとつです。何度か催した習作展では、トランクに入れて持っていった着物を着て、皆さんにご披露しました。


習作展にて(1991年)

地方への旅行で隊員仲間と川を渡っているところ
(1991年)

 地球の反対側から来た珍しい日本人が一生懸命にやっているということもあってか、現地の方々にはとてもよくしていただきました。お宅に招待されて伝統的な料理を教えていただくなど、いろいろなことも教わりました。海や山や街にも遊びに連れていってもらい、とても楽しい2年間でした。

さまざまなステージで教える経験をしました。親になってわかった生徒さんの気持ち。


甲木先生と大阪青山短期大学の大学祭にて
(2009年11月)

 コスタリカから帰国すると、三嶋先生は「あなたにはもっと活躍してもらいたいからね」と、支部の地域委員に推薦してくださり、そして茶華道連盟や甲木豊有先生を紹介してくださいました。現在では、三嶋先生にお世話になった16年間を上回る年月を甲木先生にかわいがっていただいています。
 その甲木先生のお引き立てで、青年部委員、準幹部や幹部も務めさせていただきました。また、大阪青山短期大学の非常勤講師という身分で甲木先生の助手もさせていただき、授業のお手伝いや花いけをして、先生と共に18年をキャンパスで過ごしてきました。時には、先生に代わって講義をすることもあり、大学祭での展示等でも勉強になりました。これらの経験でずいぶんレベルアップできたと思います。



大阪国際空港ターミナル内の
クリスマス飾りと息子(2008年12月)

 自宅でも教えていましたが、小原流の先輩のご紹介で大阪国際空港にあるカルチャースクールで教室を持つことになりました。空港はとても素敵なところで、観覧デッキはまるで豪華客船のようですし、四季折々の花に囲まれ、いろいろな行事の飾りつけもされて大変ロマンティックな環境です。教室ができてから13年が経ちましたが、当初からずっと来てくれている生徒が何人もいることは、嬉しい限りです。

 三嶋先生は大阪府立東豊中高等学校の生徒華道部とPTA華道部でも教えておられましたが、勉強になるからと、私にその指導を任せてくださいました。その後6年にわたり、いけばなをお教えしましたが、PTA保護者の方々には逆に育児のことを教えていただきました。


凛花花展で小原紗容子学校長と(2009年8月)

 またあるときは、難関の試験を幸運にもくぐり抜け、大阪梅田にできた凛花スクールの講師として、開校時からスクール定年まで雇っていただけました。ここではいろいろな方が習いに来られ、体験レッスンも同時に何人も受け入れるので大忙し。受付スタッフの方々に助けられながら、効率よく指導するべく努力しました。
 花展の取り合わせも任せていただいたので、同僚講師とスタッフの3人で花屋まで行きましたが、楽しい上に勉強になり、本当にラッキーでした。

 昨年度からは、私立梅花高等学校での指導も始まりました。1クラス25〜40人で1年生と2年生の計11クラスです。50分の授業時間ですが、実質は35分。5分で花材説明、20分で後ろいけをしながら、同時進行で生徒たちに一斉にいけてもらいます。もっと丁寧に見てあげたいなと時計とにらめっこしながら、残り10分で生徒作品を手直ししています。
 実技授業以外には、年に1度、講堂や特別教室で講話をおこないます。高校生にも分かりやすいように工夫したいと思い、いけばなの歴史や小原流について等をビジュアル化することにしました。スライドが作れる「パワーポイント」というパソコンソフトを使うため、その講座にも通い、自宅のパソコンで資料や写真、文字を駆使したスライドをたくさん作りました。けっこう手間のかかる作業ですが、こんなことでもなければパワーポイントなぞ一生勉強しなかったでしょう。おかげで、できることがまた一つ増えました。
 梅花高校は、小原流よりも歴史が古い、日本でも3指に入るほどの伝統的な女子高校ですが、学校や先生方も、生徒たちにいろいろな経験をさせてあげたいとさまざまなことにチャレンジし、先進的な教育をされています。そうした取り組みから始まったいけばな授業も2年目に入り、先生方のご尽力、ご協力のおかげで軌道に乗ってきました。
 実は、この仕事は空港教室の生徒さんの紹介によるものでした。私は将来性のある人にはどんどん勉強して頑張っていただきたいと思っています。種まきをするための畑はどうやらうまく耕せたようなので、来年度あたりにはその生徒に梅花の講師を交代してもらおうと思っています。


梅花高等学校での授業の様子(2011年4月)

 嬉しいことに、これまで月例研究会、地区別教授者研究会、研修課程でずいぶん良い成績をいただいてきましたが、自分の生徒が研究会で100点や95点をもらってきてくれた時のほうがずっと嬉しく思えます。さらにそれよりずっとずっと嬉しかったのは、「教えてくださるのが先生(私のことです)だから、いけばなを続けてこられました」と生徒さんに言われた時です。本当に先生冥利に尽きます。「あらそうぉ?ありがとね〜!」と言いながら、実はかなり感動しました。

 自宅稽古をしていた時に赤ちゃん連れで通って来てくれる生徒さんもいました。当時はまだ私自身が育児をしていなかったので分からなかったのですが、子どもを持つ身となって、それがどんなに大変なことか今は理解できます。本当にありがたいことです。
 もちろん、楽しいことばかりではありませんが「いけばな講師は私の天職かもしれない」と心が高鳴るような出来事にもたくさん遭遇できます。生徒のみんなとは食事に行ったり、満月に向かってお財布を振ってお月さまと交信したりと、賑やかで楽しいことがいっぱいです。独身時代は親がかりで習い事をしていましたが、よくぞ私にいけばなをさせてくれたものだ!と、親への感謝は尽きません。「お父さん、お母さん、本当にありがとう!」


作品(2007年)

絵本の読みきかせボランティアにも挑戦。いけばなから癒しのパワーもいただいています。


最近お気に入りの絵本たち

 子どもを遠方の保育所に預けていたせいか、小学校では親子ともに近くに友だちがいない状況でした。PTA委員にもなれず、なんとか学校の様子を知り、友だちを増やす方法はないものかと考えていました。そんなある日、息子が学校からもらって帰ってきたのが、月に1〜2回、朝の授業前の15分間に教室で子どもたちに絵本を読む、読み聞かせボランティアの募集チラシでした。普段から息子に絵本を読んでいた私は、「これなら学校に行ける!友だちが増える!」と早速、保護者や地域の方々が活動している「えほんの会」に入会しました。ところが、大勢の子どもたちに絵本を読むのはそんな簡単なことではなく、かなりの技術が必要だったのです。図書館主催の研修講座を受けたり、絵本作家さんの講演を聞きに行ったり、月例会で先輩にアドバイスをいただくなど、日々努力と練習を重ねています。
 絵本は読んで字のごとく「絵」の本ですが、たとえ内容が素敵でも読み聞かせには適さないものもあり、本選びが一番大変です。いけばなは「器と取り合わせがよいと、いける前に8割か9割方完成している」という話を聞いたことがありますが、読み聞かせも同じで、前段階の本選びが大事です。活動日が近づくと図書館に本を探しに行きますが、そこで会員仲間に出会うこともしょっちゅうです。
 絵本を読むと、低学年の子どもたちはキラキラした瞳でキャッキャッと喜んだり笑ったりするのがとてもかわいいですし、高学年はじっと絵本を見つめて聞いている真剣な様子がとてもいじらしいです。私たちボランティアは子どもたちのキラキラで真剣な瞳からたくさんの元気をもらいます。その上、いけばなをする私は、可憐なお花や力強い枝に癒され生きるパワーをもらう機会にも恵まれているのです。なんとありがたいことでしょうか!

 今回、何か特にお話できるようなことが自分にあるのだろうかと思っていましたが、こうやって過去を振り返ってみると、「私って今までけっこう頑張って来たじゃん!」と自分への認識を新たにすることができました。バトンタッチしてくださった田中さんに感謝いたします。
 これからも、いろいろな方に生かされ助けられていることを忘れず、「人に喜んでもらえる人」になることを目標に毎日を生きていきたいと思います。


息子が育てた朝顔 花言葉:愛情の絆、明日もさわやかに

【松井 豊桜さんに一問一答】
  • 好きな花/気高く深山で咲き誇る山百合、香りで魅惑する蝋梅
  • 好きな小説家/今野敏さんの隠蔽捜査シリーズは何度でも楽しめます。
  • マイブーム/図書館の本をパソコン予約しては借り、読みまくること。

松井豊桜さんからご紹介いただいた次回の「いけばなじん」は、濱口 翊博さん(大阪支部)です。6年間指導していた大阪府立東豊中高校の生徒華道部OBで、学生いけばな競技会に出場するなど大活躍でした。大変真面目で、成人された現在も大学院の勉強はもちろん、いけばなもパワフルに活動されているとのことです。どうぞご期待ください。

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