みんなのいけばな

File No.36

田中 豊幸さん 田中 豊幸さん 山口県/徳山支部

愛する仲間と歩んできた人生のキーワードは「楽しい!」小原流の心でこれかも異文化交流していきたい。

人と人のつながりで紹介していくリレー形式の「いけばなじん」。

 いけばなを通じてさまざまな人たちと出会いながら、ご自分の世界を次々と広げてこられてきた田中さん。今や家庭の主婦を超えた八面六臂の活躍ぶりです。ほどよく肩の力が抜けつつもエネルギッシュでユニークな、田中さんの活動についてお話をうかがいました。

のんびり屋だけどぶれない人。
優しい間アさんとの尽きない楽しい思い出。

 平成6年の研修課程T期、U期の4年間を間アさんとご一緒しました。いつも近くに座っていましたので何となく、ともに行動するようになり、親しくなりました。間アさんは芯がぶれない本当に頭の良い方ですが、一方のんびり屋さんで欲がない方というのが第一印象でした。
 あれは、確か研修U期の時です。会場の下の階でバッグのバーゲンがあり、たくさん買うと割引もあるとの情報が流れてきました。間アさんに誘われて、2人ともすっかり研修のことを忘れ、別便で送るほどバッグを買い込みました。レッスンに遅れないよう会場にそっと戻ると、皆さん一生懸命に勉強されていたのを覚えています。彼女とぐんとお近づきになったのはこの時以来です。
 研修の空き日に皆で京都の川開きに行くことになった時、科目が残って行けなかった私に「えぇ〜行けないの?」と残念がってくださった間アさん。おみやげにきれいな金平糖を買ってきてくださいました。本当にいつも優しく振り向いてくださる方です。


研修課程でのパーティーで大好きな間アさんと(右端で手をとりあっているのが間アさん)(1996年3月)

 いまでも、電話で何時間も話している仲で、お花のいけ方、おつきあいの仕方、おいしい話から家族の話などありとあらゆることが話題に上ります。また、周年行事は2人が会える少ない機会です。お互い支部の方が一緒なので、そっと手を握り合い、おみやげを交換し合って「お元気でね!」と逢瀬を楽しみます。
 松山のお宅にも2度伺いました。お泊まりの夜、お布団の上で話が尽きず、そのうち手探りでお庭の夏はぜや矢羽萱を切り、自然本位を黙々といけていたら、とうとう夜が明けてしまったという貴重な思い出もあります。
 間アさんが徳山に来られ、夜の街に出かけた時には、ホロ酔い気分で歩行者天国もどきの道を渡りかけ、「だめー!なぜ横断歩道を渡らないの?」と彼女から珍しくきつく叱られたことも楽しい思い出のひとつです。

よき妻、よき母になるべく始めたいけばな。
					友や恩師に励まされながら続けてこられました。


いけばな作家協会主催 萩焼作家「船崎透」の器
にいける(2011年10月大丸下関店)

 いけばなは母に勧められて始めました。いつも家にお花をいけ、家庭を守る優しい妻や母になるように、との願いがあったようですが、現在のようにお花の仕事で家を留守にするようになるとは考えてもいませんでした(笑)。
 支部の中にいけばなを語りあえる友がいたことも、続けていく助けになりました。教授者になったばかりの頃は、友と2人で着物を着、おそろいのエプロンをして研究会に出席していました。また、生徒さんが好成績をとった時は後ろで講評を聞きながら、そっと手を握り合って嬉し涙をこらえました。「泣いたらだめよ!」と新米先生同士で励まし合ったことは、他の人は知らない大切な思い出になっています。
 十数年後、その彼女は講師としてご活躍され、数年前に無事退職して、支部に帰られました。今、支部長を務めることになった私を再び支えてくださっています。
 また、小原流入門から40年間ずっと大親友でいてくださり、どんな時も味方として自分が知る限りのことを惜しみなく教えてくださった19歳年上の同門の先生にはどんなに感謝してもしきれません。



オーストラリア・タウンズビルでの
デモンストレーション(1995年5月)

 その他、亡き恩師から勧められるままに通い始めた地区別教授者研究会は20年間皆勤で出席しています。帰りの列車の中でみんなと飲むビールの味は毎回格別です。平成6年夏には、やはり支部長になられたばかりの木村玉草先生とともに、周南市の姉妹都市であるオーストラリアのタウンズビルで1週間の文化交流をおこないました。毎日小学生にいけばなを教え、街に出て茶道やお習字の先生たちと体験レッスンを楽しみました。


タウンズビルでの文化交流で1週間いけばな指導を(1994年夏)

英会話学校のお手伝いに励んだ40代。今は団塊仲間に刺激を受け、夢を描いています。

 いけばな以外で打ち込んだのは、英会話学校のお手伝いです。
 結婚後、7年間社宅に住み、そのうち4年間は一人暮らしで淋しい思いをしたのですが、同じ社宅の方たちに親切にしていただき、度々食事にも招いていただきました。中でも2歳年上で後に生涯の友となる彼女、やっとハイハイができるようになった子どもを私に預けて英会話を習い始め、なんとアメリカ人講師からその学校を引き継いだのです!私たちは主人を説得してお隣同士に家を建て、その後はますます助け合い、子どものお守りに加え、英会話学校の電話番やチラシ配り、一人二人と増えていく講師のホームステイまで引き受けるなど、思いつくままにお手伝いをしてきました。毎年末にはホテルで、友人の人気アナウンサーとジャズバンドを入れたクリスマスパーティーを10年間開催し続け、当時、1万円のパーティー券を売った苦労も今では楽しい思い出につながっています。そして、年明けはお花の出番です。ライブハウスを借り切り、同じアナウンサーとジャズバンドと英会話学校の彼女に助けられ、華やかに社中の新年会を開きました。といっても彼女はいつも笑いながらもくもくと食べるだけでしたが…(笑)。
 40代初め、それぞれの生きる道に不安などなく、飲んで、食べて、笑って、夢を語りながら、助け合って生きていました。とにかく楽しかったです!


SES周南英会話のハローウィンパーティーでオーナーの田島さんと一緒に(1995年11月)

 30歳を過ぎた頃から、私たち団塊世代の仲間たちは、起業や家業を継ぐために故郷に帰り、目指す道を歩き始めました。そして高校の卒業名簿づくりをきっかけに、地方新聞社を継いだ通称「おっちゃん」を中心に集い始めました。お酒好き、遊び好き、世話好きな仲間たちと絆を強くすることとなったのです。「おっちゃん」の号令のもと、山縣本店の社長が自分の酒蔵で造った日本酒を抱えてきたら、もうハチャメチャに楽しい時間の始まり!お寺の住職、ケーブルテレビの社長、副市長から大学教授、医者や歯医者、県警本部長、中には夜逃げ屋本舗顔負けの倒産者まで、バラエティに富んだ仲間たちが64歳になる今も「ちゃん!」付けで呼び合いながら、何かと理由をつけて集まって盛り上がっています。


この日に生まれた友人(左端)のバースディパーティー(1999年11月)(田中さんは左から2番目)

 蔵主の彼は、何十年も英会話を習いながら、日本酒を世界に広げようと頑張っている努力の人でもあり、その生き方は多くの人に「いけばな」に目を向けてほしいと願う私にも非常によい刺激になっています。海外のお酒のデモンストレーションで小原流のいけばな「花意匠たてるかたち」などを披露、というのが今の私の夢ですね。


SES英会話学校の講師たちと「日本酒を楽しむ会」。中央が山縣本店の蔵主(1995年10月)

仲間たちが開いてくれた還暦祝い(田中さんは右端)。中央はSES英会話学校の講師兼ゴスペル歌手。この後彼女のステージがプレゼントされました(2009年2月)

外国人から教えられ、日本の伝統文化を再確認。ペットの里親探しや連盟役員の仕事も頑張ってます。


「メガトレンド」著者ジョン・ナイスビッツの娘で
我が家にホームステイしたナナ。帰国の際にプレゼ
ントした着物を着てオ・ス・マ・シ(0000年00月)

 その後、大きく成長した英会話学校「SES周南英会話」と直接のご縁はなくなりましたが、オーナーの彼女とは相変わらずの間柄です。英会話講師は、本格的に職業に就く前に日本を知る目的で来られる人が多いので、以前は何人かにいけばなもお教えしました。彼らは「伝統」をとても大切にし、わずかな滞在中に「空手」「茶道」「藍染」などを習い、日本には身近にたくさんの伝統文化があることをとても羨ましがっていました。
 一方、日本人は金髪の外国人にとても親切。パーティーのお誘いやプレゼントも驚くほどです。英会話学校の講師だったナナ・ナイスビッツさんが我が家にホームステイをした時のことです。彼女は優秀で可愛らしく、英会話が堪能な人たちからのお誘いが引く手数多でしたが、思うように英会話ができない私との身振り手振りのおしゃべりの方が好きだと言いました。その理由を聞くと、“English conversation is a means”という答えが返ってきました。
 「“Where come from?”“What is your favorite food?”…そんな質問に興味はない。英会話は伝える手段。伝えたい内容を持っている人が好き」
 彼女の父親はあの『メガトレンド』の著者、未来学者ジョン・ナイスビッツで、竹村健一の「時事放談」にもテレビ出演されていましたが、彼女は一切の援助も得ずに働きながら来日し、メリヤスの下着を洋服にして「藍染」を習い、日本食を好む「日本丸ごと大好き!」な女性でした。


結婚して子どもと一緒に日本に遊びに来たナナと。右は「SES周南英会話」のオーナー田島悦子さん、2人でずっこけの人生を送っています(1979年)

 帰国後、空手道場を開き、小品花をいけながら弁護士になった生徒さんもいました。私は逆に彼らから日本のすばらしさを見直すことを教わりました。今一度、“English conversation is a means”の精神を思い出し、英会話を習う人たちにいけばなを広め、「日本の文化」を身につけて海外に飛び出してほしいと思っています。

 私生活では、三匹の犬と暮らしました。今は捨て猫もいます。日本もドイツのように、動物が売買されたり、処分されたりすることのない国になることを願っています。私自身、弱った犬猫を連れ帰り、元気にして里親を探す活動にも奔走していますが、時間ができたらもっと彼らに目を向けたいと思っています。動物の目は本当に純粋で、抱きしめて頬ずりすると幸せになります。
 私生活ではいつもケラケラ笑って暮らしています。お花の世界でも手を取り合い、大変なことも一緒に楽しめる仲間作りをしたいと心から思っています。
 周南市地区の文化協会の華道連盟に加入していますが、連盟の役員になってみて、小原流は本当に組織のしっかりしている流派なのだと実感しました。研究会や支部組織、様式の内容、どれをとっても小原流で良かったと感謝しています。若い方の中にはお勤めしながらでも幹部として支部を支えてくれる、とても優秀な方もいます。古い習慣にこだわらず、やる気のある方なら若い人でもどんどんバトンを渡していきたいなと思ってます。


【田中 豊幸さんに一問一答】
  • 好きな花/しゃが
  • 好きな小説家/藤沢周平
  • おすすめの本/『蝉しぐれ』
  • マイブーム/運動が苦手。お野菜が嫌い。甘い物が好き。でも健康志向。
    というわけでセサミン(ゴマ)、青汁、コラーゲン、プラセンタ、ビタミンC、黒酢など、サプリメントをたくさん飲んでいます。

田中 豊幸さんからご紹介いただいた次回の「いけばなじん」は、松井 豊桜さん(大阪支部)です。研修課程T期、U期とご一緒した時はお互いの愛犬の自慢話をし合いました。美人なのにさっぱりしていてまったく気取りのない方とのことです。どうぞご期待ください。

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