みんなのいけばな



File No.11

小坂 静子さん


年齢を重ねたいま、花材を手にしていけているときが至福です。

人と人のつながりで紹介していくリレー形式の「いけばなじん」。
今回は、前回の大山米子さんから、「いつも笑顔で声をかけてくれて、とても気配りのできる方」と、ご紹介いただいた小坂静子さん。
ご主人のブラジル・ロンドリーナ市への赴任に同行して約2年間、現地で暮らされました。
ロンドリーナ市でのいけばな活動やバザーへの参加、そして心に残る印象深い景色や思い出のエピソードなど。
大山さんとの出会いから、ロンドリーナ市での暮らしの様子を中心に伺いました。



言葉数の少ない大山さんですが、的確なアドバイスをくださる方です。

 毎年、秋に水戸の県民文化センターで開催される「茨城県芸術祭」に作品を出展しています。大山米子さんとの出会いは平成15年の県芸術祭のときで、お互いに作品を出展した折りに、どちらともなく「どうぞよろしくお願いいたします」と挨拶をかわしたのが最初でした。

大山さんは言葉数の少ない方ですが、県芸術祭での作品の挿花の際、私が迷っていると的確なアドバイスをくださったこともあり、心強く思っています。そして、いつも笑顔で接してくださり、自然体でお話しできるのがうれしいです。

現在のお付き合いは、支部の花展や水戸芸術祭いけばな展、東京の花展などで年に数回お会いしています。



夫の赴任で同行したブラジル・ロンドリーナ市はとてもきれいな町。





上写真
ロンドリーナ支部の会館の窓から見える満開のジャカランダの花。
下写真
パッチワークサークルの後のお茶会の前に。

 平成11年9月、夫がブラジルのロンドリーナ市へ赴任することとなりました。ロンドリーナ市には小原流の支部があり、いろいろ調べると小川豊華先生が活躍されていることが分かり、私も夫に同行することにしました。出発に先立って、土浦支部の当時の小倉豊夏支部長が紹介状を書いてくださいました。

紹介状のおかげで、ロンドリーナ支部では小川先生はじめ会員の皆様が温かく迎え入れてくれました。海を越えた“小原流のつながり”とともに皆様への感謝の気持ちを強く感じ、ロンドリーナ市でのいけばな生活が始まりました。

成田を出発して約30時間、日本の反対側にロンドリーナ市はあります。ブラジル南部パラナ洲の人口約50万人の都市です。町は緑が多く、花々は美しく咲き“とてもきれいな町”という印象を受けました。

この町の中央のビルの8階に小原流ロンドリーナ支部の会館があり、日系人やブラジルの人が週に3〜4日いけばなのお稽古に通っています。部屋の正面には小原豊雲三世家元の写真が飾ってあり、入室する生徒たちは写真に向かって一礼してからお稽古がはじまります。小川先生のご指導によるものと思われますが、私も見習っていました。

慈善花展やバザーでの料理作り。片言のポルトガル語でもなんとか暮らせた。



 ロンドリーナ市の人たちはとても親切で、私の片言のポルトガル語でもなんとか暮らすことができました。人々は明るく開放的で、移民の国のせいか多くの入植の人たちがそれぞれ自国の生活様式で暮らしており、私もすぐに溶け込めました。毎週日曜日に開かれる大きな朝市(フェイラ)で新鮮な野菜、果物、魚、パン、乾物、花などを買いに行くのは楽しみのひとつでした。朝早くから大勢の人が集まり、まるでお祭りの縁日のようでした。

いけばな活動では、毎年市内の銀行で慈善花展を開き、集まったお金を施設に寄付していました。この町の花屋ではきれいな花は売っていますが枝ものが手に入らず、小川先生と一緒に郊外にある生徒さんの農場へ行き、枝を切らせてもらったりしたこともたびたびでした。

また、支部の会費を補うためにバザーに参加し、ブラジルの代表的な料理フェジョアーダ作りを手伝ったりしました。何日もかけて豆と豚肉、牛肉を煮込んで作るこの料理はすごく豪快で、特に小原流のフェジョアーダは美味しいと人気があり、いつも完売でした。お花のお稽古より、こういう催事のときのほうが大勢の会員さんが集まり、とてもにぎやかで楽しかったです。




上写真
バザー用のフェジョアーダ作りの肉塊を前に笑顔の面々。
中写真
慈善花展の収益金は児童施設に寄付された。
下写真
児童施設の元気な子どもたち。


約2年間暮らしたロンドリーナ。いつか南米を訪れて、出会った人々にもう一度お会いしたい。





上写真
ブラジル最大の湿原、パンタナール(日本の本州ほどの広さ)に咲くイッペイの花。日本人はこの花を見て日本の桜を思い出す。
下写真
『100年 ブラジルへ渡った100人の女性の物語』に掲載された小川先生と原 浜子先生。

 ロンドリーナ市では約2年間暮らしました。印象深い思い出は、郊外の360度見渡せる広々としたコーヒー畑やサトウキビ畑で、今も忘れられない景色です。また、イッペイの花(ピンク・黄・白)やジャカランダの紫色の花もとてもきれいでした。クリチーバ支部、サンパウロ支部へも出掛けて花展に参加したことも大切な思い出です。

日系人の若い方たちのなかで、今の日本の若い女性よりも日本的な方に出会い驚いたこともありました。ご両親にしっかりと躾けられたということでしょうか。いつの日か南米各地を訪れ、出会った人々やお世話になった方々にもう一度お会いしたいと思っています。

今、小川先生からはパラナ州各地で行われる花展や慈善花展、ロンドリーナ支部の催事、日系人の方々の近況、世界情勢、それにご自身の近況などをエアメールで送ってもらっています。先日、『100年 ブラジルへ渡った100人の女性の物語』(サンパウロ新聞社編)という本に小川先生と原浜子先生(元クリチーバ支部長)が載っておられ、懐かしく拝読しました。


伝統文化こども教室に参加していた子どもたちのお母さんに指導。

 私がいけばなを習い始めたのは中学1年生のときです。伯母がいけばなを教えており、母から「何かひとつ生涯続けられるものを持つように」と、勧められて入門しました。その後、受験などで中断しましたが、結婚してから本格的に取り組み出しました。

お花をいけているときは、日常の雑事を忘れられるかけがえのない時間です。いけばなを通じて、他支部の花展や式典などに出席して多くの方々とお会いできたこと、そして幹部研修では教授、助教授の方々から直接ご指導を受けて勉強できたのは大変うれしいことでした。

今は伝統文化こども教室に参加していた子どもたちの保護者の方へいけばなを教えています。子どもたちが習っている間、ただ待っているのでなく自分たちもお花をいけたいという要望で始まりました。地区の生涯学習センターで月に2〜3回、学校がお休みの土曜日の午前中(10〜12時)に指導、毎回、何種類かの花材を用意し、子どもとお母さんが別のお花になるように配慮していました。

小学3年生から参加していた子どもたちも今や中学生になり子ども教室を卒業し、部活や受験で忙しそうです。それでも子どもの頃に“いけばなに触れた”ということを覚えていてくれて、大学生、社会人になってから、またいけばなと関わってくれたらと願っています。





上下写真
伝統文化こども教室でのお稽古の風景。いけられた作品は市の文化祭に出品された。

お互いの趣味を続けられるように協力しましょうという約束で40年経ちました。





上写真
ミニ花展終了後、小原豊雲三世家元の写真の前で会員の方々と記念撮影。

 夫と結婚するとき、“お互いに自分の趣味を続けられるように協力し合いましょう”と約束し、40年以上が経ちました。ずっとその約束を守ってくれ、子育て中もほとんど無欠席で研究会に出席できたことは夫と子どもたちに感謝しなければといつも思っています。

これからはボランティアを基本にいけばな活動をしていくつもりです。ブラジルから帰国後、すぐに支部の会計、副支部長の仕事で忙しかった9年間だったので、今はちょっと充電中というところです。

若い頃、“いけばなは瞬間の芸術作品で、形に残らないのでむなしい”と思っていましたが、年齢を重ねた今は花材を手にし、いけているときが至福のときだと思え、花から元気をもらっていると感じるようになりました。形に残らないからずっと続けられるのだと思います。人生の終盤にさしかかったこれからは形に残らないものを大切に生きていきたいと思っています。


【小坂 静子さんに一問一答】
好きな花/桜
好きな音楽アーティスト/ENYA(エンヤ)
お薦めの音楽/ORINOCO FLOW(オリノコ フロウ)
マイブーム/夏山のお花畑めぐり


小坂さんからご紹介いただいた次回の「いけばなじん」は、東京・尾形吉恵さんです。「何事にも前向きでいけばなに向かわれる姿勢がとても真剣で熱心な方」とのことです。ご期待ください。



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